【春雷や胸の上なる夜の厚み】俳句の季語や意味・表現技法・鑑賞文・作者など徹底解説!!

 

伝統俳句、現代俳句、新興に前衛…。

 

どの時代に詠まれたものであっても、俳句はわずか17音で物語をつづる日本が生み出した芸術です。

 

今回は、大正から昭和にかけて活躍した細見綾子の作品である「春雷や胸の上なる夜の厚み」という句を紹介していきます。

 

 

本記事では、「春雷や胸の上なる夜の厚み」の季語や意味・表現技法・鑑賞など徹底解説していきます。

 

俳句仙人
ぜひ参考にしてください。

 

「春雷や胸の上なる夜の厚み」の作者や季語・意味

 

春雷や 胸の上なる 夜の厚み

(読み方:しゅんらいや むねのうえなる よのあつみ)

 

この句の作者は、「細見 綾子(ほそみ あやこ)」です。

 

(細見綾子 出典:丹波市観光協会

 

細見綾子は、明治から平成時代にかけて生きた兵庫県丹波市出身の女流俳人です。

 

若くして夫、両親を亡くし、さらに自身も病を患う中で俳句活動を続け、俳句界に多くの業績を残しました。

 

この句は綾子が40代のときに詠んだ作品です。

 

 

季語

こちらの句の季語は「春雷(しゅんらい)」で、季節は「春」を表します。

 

単に「雷」の言葉であれば夏の季語となりますが、「春雷」は立春後に鳴る雷のことをいいます。

 

俳句仙人
この雷が鳴ると一気に春らしい陽気になります。

 

意味

この句を現代語訳すると・・・

 

「深夜、春雷の音で目を覚ます。息をひそめ、耳を澄ませていると、私の胸の上に広がる分厚い夜の闇が覆いかぶさってくるようだ。」

 

という意味になります。

 

春の雷は夏の雷とは違い、一度きりだったり、遠かったりすることが多く、この句ではそんな春の雷を「確かに春雷で目を覚ましたはずだけど」と耳を澄ましている様子が描かれています。

 

「春雷や胸の上なる夜の厚み」の表現技法

 

この句で使われている表現技法は・・・

 

  • 切れ字「や」
  • 初句切れ
  • 体言止め「夜の厚み」

 

になります。

 

切れ字「や」

「切れ字」は感動の中心を表す技法で、俳句ではよく使われます。代表的な「切れ字」には「かな」「けり」「ぞ」「や」などがあります。

 

この句は「春雷や」の「や」が切れ字に当たります。

 

春雷の音で深夜に目覚めた様子を「や」を用いて強調しています。

 

初句切れ

句や歌の途中で意味や調子が切れるところを「句切れ」といいます。

 

今回の句は、切れ字のある「春雷や」(上五)で一旦切れていますので、「初句切れ」の句となります。

 

「春雷や」で句切ることで、遠くで鳴っている春雷の音を強調しています。

 

体言止め「夜の厚み」

体言止めとは、句の末尾が名詞で終わる技法のことを言います。

 

この技法には名詞を強調する効果と読み手に句の続きを想像させる効果があります。

 

今回の句末は「夜の厚み」という名詞で終わっているため、体言止めが用いられていることが分かります。

 

俳句仙人
暗闇という見えないものを厚みとして捉えるところに現代性を感じます。

 

「春雷や胸の上なる夜の厚み」の鑑賞文

 

「春雷や胸の上なる夜の厚み」という句は、細見綾子が40代のときに詠んだ句で、綾子の円熟期の代表作の一つといわれています。

 

眠っていた綾子は雷の音で深夜に目を覚まします。「確かに雷の音がしたようだけど…」と、じっと耳を研ぎ澄ませている様子が伝わってきます。

 

床の中で突如と照らす雷の閃光。そして、仰向けに横たわった自分の胸の上に広がる夜の空間を「厚み」あるものとして表現しています。

 

窓を震わせるほどの雷の轟とそのあとに訪れた静寂の中で、綾子は「夜」というものの存在を自分の胸の上にしっかりと感じていることでしょう。

 

不安とも充足とも取れる「夜の厚み」。この句を詠んだとき、作者は何か内に抱えるものがあったのかもしれません。

 

俳句仙人
読み手の心の有り方次第で、いかようにも解釈できそうな感覚的な一句であるといえます。

 

知っておきたい!春雷に関する有名俳句【5句】

 

春の雷は、夏のものと違って激しさがないことから、荒々しさ以外の意味合いを持たせて詠まれることが多い季語です。

 

俳人たちはどのように春雷を詠んだのでしょうか。

 

俳句仙人
ここでは参考のために、「春の雷」について詠んだ有名俳句を5句紹介していきます。

【NO.1】星野立子

『 もたれゐる 窓に春雷の 雨さつと 』

季語:春雷(春)

意味:もたれている窓に春の雷が鳴り、雨がさっと降っている。

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窓にもたれかかっていたところに雷が鳴り、雨が降るという春の風景を詠んでいます。冬の雷は雪を呼び、夏の雷は暴風雨を呼ぶことを考えると、「雨さっと」という激しさを感じない天候になったところが、「春雷」という季語の意味をよく表している一句です。

【NO.2】高浜虚子

『 山の背を ころげ廻りぬ 春の雷 』

季語:春の雷(春)

意味:山の斜面を転がり回るような春の雷だ。

俳句仙人
春の雷が山の斜面に沿ってやって来るという面白い解釈の一句です。夏の積乱雲は「山を軽々と越えて」やって来るのに対し、春の雷は「山の背をころげ回る」と対比しています。荒々しさはないけれど、確かに近づいてくる雷の音をうまく表現していますね。

【NO.3】松本たかし

『 春雷や ぽたりぽたりと 落椿 』

季語:春雷(春)

意味:春の雷が鳴っている。ぽたりぽたりと椿の花が落ちてくる。

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雷が鳴ると「ぽたりぽたりと」雨が降ってくると普通なら考えるところを、この句では椿が落ちてくると表現しているユーモアのある一句です。椿は花弁が散るのではなく花ごと落ちるので、「ぽたり」という擬音にもよく合っています。

【NO.4】高浜年尾

『 春雷の 去り行く雲や かたまれり 』

季語:春雷(春)

意味:春の雷が去り、過ぎ行く雲があるなぁ。固まって移動している。

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雷と雲の組み合わせは夏を想起させます。この句が詠まれたのはもしかすると春の終わりなのかもしれません。ふと雷が去っていった方向をみると固まった雲があり、あの雲が雷を連れて行ったのだと眺めています。

【NO.5】久保田万太郎

『 春雷や たどりつきたる 京の宿 』

季語:春雷(春)

意味:春の雷が鳴っているなぁ。たどり着いた京都の宿だ。

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春の京都旅行の最中に雷がなり、慌てて宿に着いた様子を詠んだ句です。春の京都ということで桜を見に来たのかもしれません。観光をしていたところ雲行きが怪しく雷が鳴り始めて、雨が降る前にどうにか宿にたどり着いたのでしょう。

 

作者「細見綾子」の生涯を簡単に紹介!

(細見綾子 出典:丹波市観光協会

 

細見綾子(1907年~1997年)は兵庫県出身の俳人で、20歳を過ぎた頃に俳句を始めます。

 

1929年に自身が師事する松瀬青々の俳誌『倦鳥』に入会し、その年に投句し初入選します。

 

俳句の才能に恵まれ、肋膜炎を患いながらも句作に没頭し、数々の名句を残しました。

 

1965年、母校の芦田小学校の校歌の作詞を手掛け、1975年には句集『伎芸天』で芸術選奨文部大臣賞を、1979年には句集『曼陀羅』の業績により蛇笏賞を受賞します。

 

74歳のときに勲四等瑞宝章を受章し、1997年に90歳で亡くなりました。

 

細見綾子の俳句はどれも温かく、ときには字余りや破調・口語などを用いて柔らかい表情をしているのが特徴です。

 

表現の高みよりもその手触りを大切にすることに重きを置き、どの句も親しみのあるやさしい言葉で綴られています。

 

細見綾子のそのほかの俳句