伝統俳句、現代俳句、新興に前衛、どの時代に詠まれたものであっても、俳句はわずか17音で物語をつづる日本が生み出した芸術です。
今回は、大正から昭和にかけて活躍した細見綾子の作品である「春雷や胸の上なる夜の厚み」という句をご紹介します。
窓の外が強く光って何事かと思ったら雷。春雷や胸の上なる夜の厚み。
— くまなおみ (@arg_0) April 15, 2017
本記事では、「春雷や胸の上なる夜の厚み」の季語や意味・表現技法・鑑賞など徹底解説していきますので、ぜひ参考にしてみてくださいね。
目次
「春雷や胸の上なる夜の厚み」の作者や季語・意味
春雷や 胸の上なる 夜の厚み
(読み方:しゅんらいや むねのうえなる よのあつみ)
この句は「細見綾子(ほそみあやこ)」が40代のときに詠んだ作品です。
細見綾子は、兵庫県出身・大正から昭和にかけて活躍した女性俳人です。
季語
こちらの句の季語は「春雷(しゅんらい)」で、季節は「春」を表します。
単に「雷」の言葉であれば夏の季語となりますが、「春雷」は立春後に鳴る雷のことをいい、この雷が鳴ると一気に春らしい陽気になります。
意味
この句を現代語訳すると・・・
「深夜、春雷の音で目を覚ます。息をひそめ、耳を澄ませていると、私の胸の上に広がる分厚い夜の闇が覆いかぶさってくるようだ。」
という意味になります。
春の雷は夏の雷とは違い、一度きりだったり、遠かったりすることが多く、この句ではそんな春の雷を「確かに春雷で目を覚ましたはずだけど」と耳を澄ましている様子が描かれています。
「春雷や胸の上なる夜の厚み」の表現技法
この句で使われている表現技法は・・・
- 切れ字「や」
- 初句切れ
- 体言止め「夜の厚み」
になります。
切れ字「や」
「切れ字」は感動の中心を表す技法で、俳句ではよく使われます。代表的な「切れ字」には「かな」「けり」「ぞ」「や」などがあります。
この句は「春雷や」の「や」が切れ字に当たります。
春雷の音で深夜に目覚めた様子を「や」を用いて強調しています。
初句切れ
句や歌の途中で意味や調子が切れるところを「句切れ」といいます。
今回の句は、切れ字のある「春雷や」(上五)で一旦切れていますので、「初句切れ」の句となります。
「春雷や」で句切ることで、遠くで鳴っている春雷の音を強調しています。
体言止め「夜の厚み」
体言止めとは、句の末尾が名詞で終わる技法のことを言います。この技法には名詞を強調する効果と読み手に句の続きを想像させる効果があります。
今回の句末は「夜の厚み」という名詞で終わっているため、体言止めが用いられていることが分かります。
暗闇という見えないものを厚みとして捉えるところに現代性を感じます。
「春雷や胸の上なる夜の厚み」の鑑賞文
「春雷や胸の上なる夜の厚み」という句は、細見綾子が40代のときに詠んだ句で、綾子の円熟期の代表作の一つといわれています。
眠っていた綾子は雷の音で深夜に目を覚まします。「確かに雷の音がしたようだけど…」と、じっと耳を研ぎ澄ませている様子が伝わってきます。
床の中で突如と照らす雷の閃光。そして、仰向けに横たわった自分の胸の上に広がる夜の空間を「厚み」あるものとして表現しています。
窓を震わせるほどの雷の轟とそのあとに訪れた静寂の中で、綾子は「夜」というものの存在を自分の胸の上にしっかりと感じていることでしょう。
不安とも充足とも取れる「夜の厚み」。この句を詠んだとき、作者は何か内に抱えるものがあったのかもしれません。
読み手の心の有り方次第で、いかようにも解釈できそうな感覚的な一句であるといえます。
作者「細見綾子」の生涯を簡単にご紹介!
(細見綾子 引用元)
細見綾子(1907年~1997年)は兵庫県出身の俳人で、20歳を過ぎた頃に俳句を始めます。
1929年に自信が師事する松瀬青々の俳誌『倦鳥』に入会し、その年に投句し初入選します。
俳句の才能に恵まれ、肋膜炎を患いながらも句作に没頭し、数々の名句を残しました。
1965年、母校の芦田小学校の校歌の作詞を手掛け、1975年には句集『伎芸天』で芸術選奨文部大臣賞を、1979年には句集『曼陀羅』の業績により蛇笏賞を受賞します。
74歳のときに勲四等瑞宝章を受章し、1997年に90歳で亡くなりました。
細見綾子の俳句はどれも温かく、ときには字余りや破調・口語などを用いて柔らかい表情をしているのが特徴です。
表現の高みよりもその手触りを大切にすることに重きを置き、どの句も親しみのあるやさしい言葉で綴られています。
細見綾子のそのほかの俳句
- 菜の花がしあはせさうに黄色して
- そら豆はまことに青き味したり
- チューリップ喜びだけを持つてゐる
- ふだん着でふだんの心桃の花
- つばめ/\泥が好きなる燕かな
- 鶏頭を三尺離れもの思ふ
- 女身仏に春剥落のつづきをり