五・七・五のわずか十七音で、瞬間の感動や心象を表現する「俳句」。
俳句と聞けば、高尚で難解なイメージをもたれる方も多いかもしれませんが、決してそうではありません。
女流俳人の中村汀女は俳句について、「だれでも気軽に、自分たちの周囲から美しい詩を見つけて、十七文字にすることです」とし、万人が楽しめる文学だと述べています。
その言葉通り彼女が詠んだ句は、身のまわりにある風物をわかりやすい表現で捉えており、今日まで多くの人に親しまれています。
今回はそのな中村汀女の詠んだ句の中から【たんぽぽや日はいつまでも大空に】という句をご紹介します。
たんぽぽや 日はいつまでも 大空に 中村汀女 pic.twitter.com/zb0jUKswAi
— あおい (@9Aoiman) May 23, 2013
汀女はどのような心情で詠んだのでしょうか?
本記事では、「たんぽぽや日はいつまでも大空に」の季語や意味・表現技法など徹底解説していきますので、ぜひ参考にしてみてください。
目次
「たんぽぽや日はいつまでも大空に」の季語や意味・詠まれた背景
たんぽぽや 日はいつまでも 大空に
(読み方:たんぽぽや ひはいつまでも おおぞらに)
この句の作者は「中村汀女(なかむらていじょ)」です。
中村汀女は昭和を代表する女性俳人で、高浜虚子に師事しました。
彼女の作品は日常の何気ない風景を叙情的に詠んだものが多く、女性らしい優しさとぬくもりが感じられます。
季語
この句に含まれている季語は「たんぽぽ」で、季節は「春」を表します。
3月ごろになると咲き始めるたんぽぽは、春の日常風景にふさわしい身近で親しみある花です。
野に咲くだけでなくアスファルトの隙間からも顔を出す姿からは、力強いたくましさも感じられます。花の可憐さとは対照的に強い生命力の象徴として詠まれることが多い季語です。
また、たんぽぽは地べた近くで咲いていることから、小さな子供でも簡単に触れることができます。パッと目をひく鮮やかな黄色の花は、幼子でも摘みやすく玩具としてもぴったりでしょう。
「たんぽぽ」という言葉の響きもあいまって、幼児性を表現する際にも用いられています。
意味
こちらの句を現代語訳すると・・・
「足元にたんぽぽが咲いているなぁ。大空には太陽が悠々ととどまっており春の日の長さが感じられる。」
という意味になります。
この句が詠まれた背景
この句は1934年、汀女が40歳のころに刊行された最初の個人句集『春雪』に収められています。
この時代、俳句の世界では男性優位が続いており、汀女の句も当初から「台所俳句」だと蔑まれ、鑑賞するに値しないとまで言われていました。
そんな中、汀女は「それでよし」と毅然に受け止め、主婦としての日常を詠む姿勢を貫き通しています。
『汀女自画像』の中でも、「私たち普通の女性の職場ともいえるのは家庭であるし、仕事の中心は台所である。そこからの取材がなぜいけないのか」と、主張していました。
日常の生活を題材にしながら、深い叙情性をおびた汀女の作品は、多くの家庭婦人が俳句に親しむきっかけとなります。
この句においても、春の花に桜や梅といった風雅を象徴とするものではなく、あえて華やかさに欠ける「たんぽぽ」を選んでいるところが汀女らしいといえるでしょう。
何気ない日常における、のどかな春の光景が表現されています。
「たんぽぽや日はいつまでも大空に」の表現技法
「たんぽぽや」の切れ字「や」(初句切れ)
「たんぽぽや」には、詠嘆や感動を意味する切れ字が使われています。
切れ字とは「かな」「けり」「や」などの語で、句の切れ目に用いられ強調や余韻を表す効果があります。
「や」は最初の言葉を強調したいときに使われることが多く、この句でも最初の五音、つまり初句で切れているので「初句切れ」となります。
「たんぽぽや」には、「ああ、たんぽぽだなぁ」と詠嘆が表現されており、たんぽぽから春の訪れをしみじみと感じられます。
子どものように素直な表現ではありますが、それだけ春を迎えた喜びがストレートに伝わってきます。
「たんぽぽ」と「大空の日」との取り合わせ
取り合わせとは、季節を表す語とそれ以外の関連性のない語を組み合わせる技法です。
意外な語をあえて取り合わせることで、句の情景に奥行きを持たせる効果があります。
この句では、「たんぽぽ」と「大空の日」に取り合わせが使われており、地上に群がって咲く小さなたんぽぽと、大空で輝く太陽という二つの異なる世界が相乗効果を発揮しています。
たんぽぽの黄色く丸い形に太陽の姿を重ね合わせ、春の訪れを感じながらしみじみと眺め入っているのでしょう。
陽だまりのたんぽぽと春の日永の太陽が、穏やかな雰囲気を漂わせています。
「たんぽぽや日はいつまでも大空に」の鑑賞文
汀女は日常生活の中で感じた何気ない一瞬を、女性ならではの視点で慎ましやかに十七文字に表してきました。
この句に詠まれた場面も、寒さ緩み日差しが暖かくなってきた頃の散歩中でのひとコマでしょうか。
地上に咲くたんぽぽと空に輝くお日様から、のどかな春の景色が目に浮かびます。
この句の表現のポイントは「いつまでも」という語にあります。太陽が永遠に空に昇っていることなどあるはずがないのに、「いつまでも」としているのは汀女の切実な祈りにもきこえてきます。
昭和に入った1930~1945年は大きな戦争が続いた時代でもあります。
「いつまでも」と想いを込めて詠んだのは、平和の尊さを認識し日々過ごしていたことの表れだったのではないでしょうか。
つまり、この句は単なる自然描写ではなく、作者の理想とする世界を示しているものと捉えることができます。
汀女は「いつまでも」という語を選びながらも、心の中では幸せな時間は決して永遠に続くことは無いのだろうと、どこか冷静な眼差しでこの句を詠んだことでしょう。
作者「中村汀女」の生涯を簡単にご紹介!
(1948年の中村汀女 出典:Wikipedia)
中村汀女(1900~1988年)は、「星野立子」「橋本多佳子」「三橋鷹女」とともに「四T」と称された女流俳人です。
汀女は熊本県に生まれ、本名を破魔子(はまこ)といいました。
県立高等女学校を卒業して間もない18歳の師走の頃、日課の玄関掃除をしていてふと「吾に返り見直す隅に寒菊紅し」という句を詠みます。
当時父が愛読していた九州日日新聞(現・熊本日日新聞)の俳句欄に投稿すると、選者に絶賛され俳句を始めるきっかけとなりました。
20歳の頃に結婚し、夫の転勤とともに東京、横浜、仙台、名古屋などを日本各地を転々とします。三人の子どもを儲け、子育てに追われ中、10年ほど句作を中断したこともありました。
再開後は高浜虚子に師事し、女性にも俳句の門戸を開こうとした『ホトトギス』の同人となります。
主婦兼母親の日常から多くの句作をなした汀女は、その人柄と指導力で女性の門下生を増やしていきます。さらに戦後の混乱の中「風花」を創刊しさらに、よりいっそう女性俳句を広め盛り上げる一因となりました。
俳句の発展に努め、後の俳句界にも大きな影響を与えた汀女ですが、88歳の頃、東京女子医科大学病院で心不全によりこの世を去りました。
今日は俳人・中村汀女(1900-1988)の誕生日です。18歳から俳句を始め、高浜虚子に師事しました。日常生活を情感豊かに描く女流俳人として知られています。画像は2000年発行の「第2次文化人切手第9集」の中の1枚です。背景に自身の句「外にも出よ触るるばかりに春の月」がデザインされています。 pic.twitter.com/iN8Y1jGmYz
— 公益財団法人 日本郵趣協会 (@kitteclub) April 11, 2018
中村汀女のそのほかの俳句
- 外にも出よ触るるばかりに春の月
- 秋雨の瓦斯(ガス)が飛びつく燐寸かな
- とどまればあたりにふゆる蜻蛉かな
- 咳の子のなぞなぞあそびきりもなや