五・七・五のわずか十七音に心情や風景を詠みこむ「俳句」。
それぞれの季節の有名な俳句を覚えていて、季節が来るとその俳句を思い出すかたもいるのではないでしょうか。
今回は、有名俳句のひとつ「空をゆくひとかたまりの花吹雪」という句をご紹介します。
空をゆく
一とかたまりの
花吹雪 高野素十
#折々のうた三六五日#卯月四月五日#野花集#高野素十 pic.twitter.com/arQpr3jWjB
— 菜花 咲子(ナバナサキコ) (@nanohanasakiko2) April 15, 2018
本記事では、「空をゆくひとかたまりの花吹雪」の季語や意味・表現技法・作者などについて徹底解説していきますので、ぜひ参考にしてみてください。
目次
「空をゆくひとかたまりの花吹雪」の俳句の季語や意味・詠まれた背景
空をゆく ひとかたまりの 花吹雪
※「一とかたまりの」と表記している場合もある
(読み方 : そらをゆく ひとかたまりの はなふぶき)
この句の作者は、「高野素十(すじゅう)」です。
高野氏は高浜虚子に師事して俳句を詠み、俳句雑誌「ホトトギス」にて活躍しました。
また、東京帝国大学(現在の東京大学)医学部を卒業し、医学博士として研究を行っています。
季語
この句の季語は「落花」、季節は「春」です。
落花という言葉は、この俳句には出てきていません。どうして、季語が落花となるのでしょうか。
落花とは、桜の花が散ることです。この句にでてくる「花吹雪」は、桜の花びらが散り乱れる様子を吹雪に見立てています。
そのため、花吹雪は落花の様子を表す言葉であり、季語として花吹雪ではなく、落花ということになります。
吹雪は、そもそも、降ってくる雪や地上から舞い上がった雪が、激しい風によって空中を乱れ飛んでいる状態をさします。桜の花びらが、雪のように舞い上がり風に乗って飛んでいる様子が目に浮かびます。
また、俳句や和歌では、花といえば桜をさします。平安時代中期以降、花=桜となったとされており、それまでは花=梅と言われていました。
桜は、日本を代表する花であり、古くからたくさんの人に親しまれてきました。桜については、たくさんの派生した季語があり、日本の人々が古くから、いかに桜にそれぞれの生活や人生を重ねていたのかを知ることができます。
また、桜が散る時季は、春が終わり初夏へと向かう頃です。そのため、花吹雪は春の終わりを表します。
意味
こちらの句を現代語訳すると…
「ひとかたまりの花吹雪が、空へと通り過ぎて行ったよ」
という意味です。
桜の散る頃に、桜がまるで生きていて意思を持っているかのようにひとかたまりになって空へ向かっていく、そのような春の終わりの桜と吹いている風の様子が想像できます。
この句が詠まれた背景
この句は、1952年の著書「雪片」に収められています。
高野素十の師事した高浜虚子は、花や鳥といった自然の美しさを詩歌に詠みこむ「花鳥諷詠」、客観的に情景を写生するように表現しつつ、その奥に言葉では表現しきれない光景や感情をひそませる「客観写生」という俳句の理念を掲げました。
高野素十は、その高浜虚子の「客観写生」の理念の最も忠実な実践者として、見たままの俳句を詠むことを突き詰め、省略や単純化を用いてシンプルに自然界のありのままを表現しました。
そのため、素十の俳句は「純客観写生」と呼ばれています。
素十は、自然をありのままに捉え、また自分の身の回りの景色を俳句に詠んでいました。
この句も、素十の見たままの空へと舞い散る桜の景色を捉え、詠んだものかもしれません。
「空をゆくひとかたまりの花吹雪」の表現技法
「花吹雪」の体言止め
体言止めは、語尾を名詞や代名詞などの体言で止める技法です。
体言止めを使うことで、美しさや感動を強調する、読んだ人を引き付ける効果があります。
「花吹雪」で体言止めをすることで、風に吹かれどっと舞い散る桜の花びらを、この句を読んだ人に想像させることができます。
素十の俳句は、あまり「や」「かな」「けり」の切れ字を用いず、こうした名詞や代名詞を用いた体言止めが多いことが特徴とされています。
「空をゆくひとかたまりの花吹雪」の鑑賞文
高野素十は、省略や単純化を用いて自然界のありのままを表現する「純客観写生」、見たままを俳句に詠むことを突き詰めていきました。
この句では、花吹雪が、実際にまるで意思を持っているかのように空へ舞い上がる様子を「空をゆく」と表現し、自然をありのままに感じて詠んでいる様子が想像できます。
また、舞い上がる桜吹雪を「ひとかたまり」と即物的(現実に即してありのままに物事を見たり考えたりすること)に表現していることに、自分の掲げる俳句のありかたへの強いこだわりが感じられます。
桜は花が咲いているところも美しいですが、花の散るところも美しく趣があるものとして、古くからたくさんの俳句に詠まれています。
ただ単に、桜が散っているとは詠まずに、「空へゆく」と表現したところに散ってもなお、意思があり美しいと思う気持ちが込められているのかもしれません。
春が終わり、夏へと季節が移り変わっていく、そんな季節の訪れとともに桜の花びらたちが空へと昇っていくように感じたのかもしれません。
作者「高野素十」の生涯を簡単にご紹介!
高野 素十たかの すじゅう1893年3月3日誕生。俳人、医学博士。山口誓子、阿波野青畝、水原秋桜子とともに名前の頭文字を取って『ホトトギス』の四Sと称された。
籬より
見えて咲きたる
牡丹かな pic.twitter.com/uHVIuH6Fhk— 久延毘古⛩陶 皇紀2679年令和元年師走 (@amtr1117) March 2, 2014
高野素十は1893年3月に茨城県に生まれました。本名は、高野与巳(よしみ)といいます。
農家の長男として生まれ、幼少期は田園地帯で育ちました。
1918年に東京帝国大学の医学部を卒業します。法医学教室の先輩に、俳人の水原秋櫻子がいました。彼に勧められ1923年に俳句作りを開始します。
その後、頭角を現し、俳句雑誌「ホトトギス」で活躍します。素十は、山口誓子・水原秋桜子・阿波野青畝とともに「ホトトギスの四S」と称されました。
高野素十の作風は客観写生を突き詰めた「純客観写生」が特徴で、自然界の物事を単純化してそのまま詠むことに長けていました。また、近くの景色を詠み、生活と芸術を分けて捉えた俳句が特徴とされています。
俳句以外に医学博士としても活躍し、新潟医科大学にて教授として就任し学長にも就任しました。
1976年、軽い脳溢血により入院し、同年10月に神奈川県相模原市の自宅で83歳にて死去しました。
高野素十のそのほかの俳句
- ひつぱれる糸まつすぐや甲虫
- 食べてゐる牛の口より蓼の花
- 方丈の大庇より春の蝶
- くもの糸ひとすぢよぎる百合の前
- 甘草の芽のとびとびのひとならび
- 翅わつててんたう虫の飛びいづる
- づかづかと来て踊子にささやける
- 空をゆく一とかたまりの花吹雪
- たんぽぽのサラダの話野の話
- 自転車のとまりしところ冬の山