【村上鬼城の有名俳句 20選】ホトトギスを代表する俳人!!俳句の特徴や人物像・代表作など徹底解説!

 

俳句は五七五の十七音に季節を表す季語を組み合わせてさまざまな情景を詠む詩です。

 

江戸時代から始まったとされる俳句ですが、明治時代に入ると正岡子規や高浜虚子によって整理され、俳句という芸術の一ジャンルとして確立します。

 

今回は、大正時代から昭和の初めにかけて活躍した「村上鬼城(むらかみ きじょう)」の有名俳句を20句ご紹介します。

 

 

俳句仙人
ぜひ参考にしてください。

 

村上鬼城の人物像や作風

 

村上鬼城(むらかみ きじょう)は、1865年(慶応元年)5月に鳥取藩士の長男として江戸の小石川に産まれました。本名を村上荘太郎(しょうたろう)といいます。

 

鬼城は若い頃、軍人を志していましたが、生涯にわたって悩まされる耳の病気により断念し、法律を学びます。司法書士の前身である司書代書人となった鬼城は、父の勤める高崎裁判所で仕事をはじめ、亡くなるまで高崎で過ごしました。

 

司法代書人としての仕事の傍らで俳句を学び、正岡子規や高浜虚子に師事しています。

 

高浜虚子の推薦もあり、1912年から『ホトトギス』で活動を始め、1938年(昭和13年)9月に亡くなるまで句作を続けていました。

 

 

村上鬼城の作風は、8人の娘と2人の息子を抱えての困窮した生活を下地にした人生への諦念や、自身の病気もあってか哀しみを詠んだ句が多いのが特徴です。

 

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師事した高浜虚子らの影響もあり、ありのままの自然人生の憐れみを詠む独特の作風になっています。

 

 

村上鬼城の有名俳句・代表作【20選】

 

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この句は、作者が職に復帰した際に詠まれたと言われています。耳の病気を理由に司法代書人を解雇された作者は、知己であった高浜虚子の尽力で復職しました。

【NO.2】

『 生きかはり 死にかはりして 打つ田かな 』

季語:打つ田(春)

意味:この地に生きて死に、持ち主が代替わりしていく中でもずっと田を耕し続けているのだなぁ。

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「生きかはり」は生まれ変わり、「死にかはり」は代を重ねていく様子を表現しています。その他にも、生まれ変わりという輪廻転生の概念としてずっと田を耕し続けるのだろうかという解釈もある句です。

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作者は句作を始めて亡くなるまで高崎で過ごしています。ここで詠まれた「ごうごうと吹く」風とは、群馬の名物とも言われるからっ風だったのかもしれません。

【NO.4】

『 蟻出るや ごうごうと鳴る 穴の中 』

季語:蟻出る/蟻穴を出づ(春)

意味:蟻が冬眠から覚めて、巣穴の中から出てくる時期になった。まるでごうごうと音を立てているように巣穴の中は活発に動く蟻であふれている。

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「蟻穴を出づ」とは、「啓蟄」を意味する季語です。蟻が巣穴から這い出て活動しているということは、巣穴の中も冬の間の静けさから活発に動き回る蟻たちで音がしてきそうだというユーモアのある句になっています。

【NO.5】

『 榛名山 大霞して 真昼かな 』

季語:霞(春)

意味:榛名山はいつ見ても霞がかかっている真昼であることだ。

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榛名山(はるなさん)は、春から初夏にかけては霞みがかっていることが多い山です。作者は高崎に住んでいたため、榛名山は身近な山でした。そんな身近な山の、いつも通りの風景を淡々と詠んでいます。

【NO.6】

『 念力の ゆるめば死ぬる 大暑かな 』

季語:大暑(夏)

意味:少しでも念力をゆるめれば死んでしまうほど暑い大暑の日であることだ。

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「言語道断の暑さ」と呼ばれた年に詠まれたとされている句です。「念力」とは超能力のことではなく、障害を克服しようとする意志の強さを意味します。

【NO.7】

『 水すまし 水に跳ねて水 鉄の如し 』

季語:水すまし(夏)

意味:アメンボが水に跳ねて着地する水は、まるで鉄のように硬く感じる。

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「水すまし」とアメンボは厳密には違う昆虫ですが、俳句の世界では同じものとして扱われています。アメンボが水の上を器用に動き回る様子が、水が鉄のように硬いものに感じるという面白い表現に繋がっている句です。

【NO.8】

『 昼顔に レールを磨く 男かな 』

季語:昼顔(夏)

意味:昼顔の花が咲く線路で、レールを磨いている男がいることだ。

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昼顔はその名のとおり、昼になっても花がしぼまない種類の植物です。現在では昼間の保守整備は考えられないことですが、当時は炎天下の昼間にレールを磨く作業があったのでしょう。

【NO.9】

『 五月雨や 起き上がりたる 根無草 』

季語:五月雨(夏)

意味:梅雨で雨が降ってきた。根無し草となっていた草が雨を受けて再び起き上がってきている。

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枯れるのを待つばかりであった根無し草が、梅雨の雨で再び大地に根付こうとしている様子を詠んだ句です。自然の生命力やたくましさを詠んだ句になっています。

【NO.10】

『 麦飯に 何も申さじ 夏の月 』

季語:夏の月(夏)

意味:貧しさに麦飯しか食べられなくなっても、夜空に輝く夏の月は何も言わないのだ。

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煌々と夜空を照らす夏の月の下で、麦飯を食べる貧窮した様子を詠んでいます。美しく風流な月と比べることで、貧窮の様子が際立つ句です。

 

【NO.11】

『 秋の暮 水のやうなる 酒二合 』

季語:秋の暮(秋)

意味:秋の暮れに飲む二合の酒は、いつもと同じはずなのに水のように感じる。

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仕事や人間関係で嫌なことがあると、いつもの同じものを飲んでいるはずなのにどこか味気ないように感じることは良くあります。作者のこの句も、「秋の暮」という侘しい時間帯も相まって虚しさを感じながら晩酌をしている様子が浮かんできます。

【NO.12】

『 ほの赤く 掘起しけり 薩摩芋 』

季語:薩摩芋(秋)

意味:収穫の頃合かと掘り起こしたサツマイモは、まだほんのりと赤いものだった。

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収穫時期よりも少し早い状態のサツマイモを掘り起こした時の一句です。食べ頃にはまだ早いものですが、その年の「初物」としてのサツマイモを喜ぶ様子が「ほの赤く」という表現から見て取れます。

【NO.13】

『 痩馬の あはれ機嫌や 秋高し 』

季語:秋高し(秋)

意味:痩せている馬でも、どこか機嫌が良いように感じる心地の良い秋だ。

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この句は漢詩の中の「秋高くして塞馬肥ゆ」という一節に由来していると言われています。馬が肥えるとも言われる秋であるにも関わらず痩せている馬に、自分自身を重ね合わせている一句です。

【NO.14】

『 小鳥この頃 音もさせずに 来て居りぬ 』

季語:小鳥(秋)

意味:小鳥たちがこの頃は、音も立てずにいつの間にか来ていることだ。

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作者は若い頃から耳の病気に悩まされていました。この句の「音もさせずに」とは、本当に音も立てずに小鳥たちがやってきていたのか、作者が音が聞こえにくくなってしまっていたのかどちらの解釈もできる表現です。

【NO.15】

『 親よりも 白き羊や 今朝の秋 』

季語:今朝の秋(秋)

意味:親よりも白い羊がいる立秋の日の朝だ。

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単純に親よりも体毛が白かったのか、立秋の日ということで気温差で霧などが出ていて白く見えたのか、色々な想像ができる句です。秋の初めの朝に元気に駆け回る羊の親子という、自然を観察する作者の作風がよく表れています。

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小春日和の暖かさを満喫しているような赤とんぼの姿を詠んだ句です。冬が近づき、やがて命を終えてしまうだろう赤とんぼをじっと見ている様子が、「噛み居る」という表現から伝わってきます。

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蜂は大半が越冬できずに死んでしまいます。この句では、弱って飛ぶこともできなくなった蜂が、死に場所を探すように地面を歩いている様子を詠んでいますが、人の一生に例えているという解釈もできる句です。

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実際に年老いた鷹だったのか、鷹という鳥の印象なのかによって受ける感覚が変わってきます。厳しい表情に見える鷹は、老いた人のしかめっ面に見えて哀れに思えたのでしょうか。

【NO.19】

『 うとうとと 生死の外や 日向ぼこ 』

季語:日向ぼこ(冬)

意味:うとうととしている日向ぼっこの最中は、生死のことなど考えもしないものだ。

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暖かな場所でついうたた寝をしている様子を詠んでいます。日向ぼっこをしている間は、人生の苦しみや哀しみ、生死など難しいことは考えずに安らかに過ごせるのでしょう。

【NO.20】

『 大寒や 下仁田の里の 根深汁 』

季語:大寒(冬)

意味:大寒の日だ。こんなに寒い日には、下仁田のネギで作った根深汁を食べよう。

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「根深汁」とは白ネギを入れた味噌汁のことです。下仁田は白ネギで有名な土地で、群馬県に住んでいた作者には特に親しみやすい食材が白ネギだったのでしょう。

以上、村上鬼城の有名俳句20選でした!

 

 

俳句仙人

今回は、村上鬼城の作風や人物像、有名俳句を20句ご紹介しました。
花鳥風月を重んじる正岡子規や高浜虚子の流れを汲みながらも人生の哀しみや諦念を詠む独特の作風は、その後の俳人たちに影響を与えています。
近代俳句の象徴とも言える大正時代の俳句はいろいろな作風がありますので、ぜひ読み比べてみてください。