俳句は、日本のみならず世界にも多く愛好者を持つ詩のひとつです。
限られた音数の中で自然の妙や心の機微をうたいあげます。
そんな俳句は、小学校から国語の教科書にも載っているので、覚えるともなく記憶にしみこんでいる句も一つや二つはあるのではないでしょうか?
また、大人になって自ら俳句を作って楽しむ方も、たしなまずとも鑑賞して楽しむ方も多くいることでしょう。
今回はそんな数ある名句の中から「来しかたや馬酔木咲く野の日のひかり」という水原秋桜子の句をご紹介します。
あしびの花。
来しかたや馬酔木咲く野の日のひかり
水原秋櫻子
(奈良三月堂) pic.twitter.com/3P2ugApvAn— 高橋和志 (@K5Takahashi) March 17, 2015
本記事では、『来しかたや馬酔木咲く野の日のひかり』の季語や意味・表現技法・作者について徹底解説していきますので、ぜひ参考にしてみてください。
目次
「来しかたや馬酔木咲く野の日のひかり」の作者や季語・意味・背景
(馬酔木 出典:Wikipedia)
来しかたや 馬酔木咲く野の 日のひかり
(読み方:こしかたや あしびさくのの ひのひかり)
こちらの句の作者は「水原秋桜子」です。
女性のような名前ですが男性です。大正から昭和にかけて活躍した俳人の一人です。
季語
この句の季語は「馬酔木咲く」、季節は春です。
「馬酔木」とは、春、白い鈴のような可憐な花を咲かせる低木のこと。この木には毒があり、動物もこの木は食べません。
この句はじつは、奈良の東大寺の三月堂からの景色を詠んだものです。東大寺や春日大社などのあるあたりは、古寺や貴重な遺跡のある所として国有地であり、明治13年(1880年)、奈良公園として開園しました。
春日大社の神の使いとされる鹿が多くいますが、鹿は他の草木は食べても毒のある馬酔木を食べないので、馬酔木がたくさん生えています。
馬酔木、鹿、古寺などは、奈良の大和路を代表する風物とされます。
意味
こちらの句を現代語訳すると・・・
「自分が歩いてきた方を振り返ってみると、馬酔木の白い花が咲き乱れ、春の陽ざしが降り注ぐ美しい野であることだ。」
という意味になります。
この句が生まれた背景
こちらの句は、水原秋桜子が昭和2年(1927年)に奈良に俳句を詠む旅に出かけた際に詠まれた句になります。昭和5年(1930年)に刊行された句集「葛飾(かつしか)」に収録されています。
この句には前書きで「三月堂」とついています。「三月堂」とは、東大寺の伽藍のひとつです。
(三月堂 出典:Wikipedia)
当時の水原秋桜子は古都奈良にあこがれる気持ちが強く、何度も奈良、大和路を旅していました。
思想家、和辻哲郎が大正8年(1919年)に刊行した「古寺巡礼」という、大和路を旅した折の印象をまとめた名著があるのですが、秋桜子はこの本を愛読、自らも大和路を辿って俳句を詠んでいたのでした。
東大寺三月堂の周りには馬酔木が多く、古都らしい光景を美しく詠み込んだ、秋桜子らしい句と評価も高い一句です。
秋桜子は昭和4年(1929年)からは、俳句雑誌「馬酔木」の主宰もつとめており、「馬酔木」という言葉は秋桜子にとって特別なものだったのかもしれません。
「来しかたや馬酔木咲く野の日のひかり」の表現技法
こちらの句で用いられている表現技法は・・・
- 「来しかたや」の切れ字「や」による初句切れ
- 「日のひかり」の体言止め
になります。
「来しかたや」の切れ字「や」による初句切れ
句中の「来しかたや」の「や」を切れ字と言います。
切れ字とは、「…だなあ」というような意味に訳され、句の感動の中心を表す言葉です。
(※現代では「や」、「かな」、「けり」の3つが代表的な切れ字となっています)
切れ字「や」は初句に置かれることが多く、この句もその例にもれません。初句で切れるので「初句切れ」となります。
また、「や」は「かな」や「けり」に比べると軽い印象で、ここで一息ついて調子を整えるような印象があります。
つまり、三月堂で自分が歩いてきた方をふと振り返ってみた時に、感興が沸き起こってきたことを表しています。
ほの暗い三月堂の堂宇のなかから眺める外の景色はより一層輝いて見えたことに心を動かされたのでしょうか。
「日のひかり」の体言止め
体言止めとは、文の終わりを体言、名詞で終わることで句の印象を強めたり、余韻を残す働きをする表現技法のことです。
「日のひかり」とこの句を終わることで、春のひかりの柔らかさ、穏やかな美しさを印象付けています。
「来しかたや馬酔木咲く野の日のひかり」の鑑賞文
【来しかたや馬酔木咲く野の日のひかり】の句は、馬酔木さく大和路の春の光景を印象的に詠み込んだ美しい句です。
前書きの「三月堂」という言葉と合わせて情景を想像すれば、ぼんやりと暗い三月堂の内部、そこから振り返って仰ぐ春のひかりの柔らかなまばゆさの対比が印象的です。
可憐な白い馬酔木の花、野原は萌え出でた若草色に染まっていることでしょう。明と暗のコントラスト、色彩イメージも豊かな句です。
「来しかたや」とは、自分が歩いてきた方向をみやって出てきた言葉です。
そのまま読めば、空間的に今まで歩いてきた方向を振り返ってみたということです。
しかし、深読みすれば、過去自分がたどってきた道筋ややってきたことを思い返してみた、と時間的なものとして読み解くこともできるでしょう。
作者「水原秋桜子」の生涯を簡単にご紹介!
(1948年の水原秋桜子 出典:Wikipedia)
水原秋桜子は、本名を水原豊といいます。明治25年(1892年)生まれの、大正昭和に活動した俳人、歌人であり、医師でもありました。
松根東洋城、高浜虚子らに師事、日本の俳壇をしきっていたホトトギス派に新たな風をもたらし、一時代を築き上げた一人でもありました。
後に、ホトトギス派の作句の態度とは違う方に進み、「ホトトギス」を離れることになります。新興俳句運動を進めていくこととなり、俳句雑誌「馬酔木」を主宰もつとめました。
昭和42年(1967年)には勲三等瑞宝章を受章。そして、昭和56年(1981年)病没、88歳でした。
水原秋桜子のそのほかの俳句
- 瀧落ちて群青世界とどろけり
- 冬菊のまとふはおのがひかりのみ
- 梨咲くと葛飾の野はとの曇り
- 葛飾や桃の籬も水田べり
- ふるさとの沼のにほひや蛇苺
- 啄木鳥や落葉をいそぐ牧の木々