五・七・五の十七音で、自然の雄大さも繊細さも、人間のこころの複雑な機微も情感豊かに歌い上げる「俳句」。
研ぎ澄まされた感覚で、選び抜かれた言葉を使って表現された句は、芸術作品として高く評価されています。
今回は数ある名句の中から、人間追求派の俳人と言われた中村草田男の「はまなすや今も沖には未来あり」という句をご紹介します。
ある日のハマナスの丘で海を見ていた。
はまなすや今も沖には未来あり
中村草田男 pic.twitter.com/L616Cheg8H— 屯田物語 (@tonden177) July 13, 2017
本記事では、「はまなすや今も沖には未来あり」の季語や意味・表現技法・作者などについて徹底解説していきますので、ぜひ参考にしてみてください。
目次
「はまなすや今も沖には未来あり」の作者や季語・意味
はまなすや 今も沖には 未来あり
(読み方:はまなすや いまもおきには みらいあり)
こちらの句の作者は「中村草田男」です。
生活に密着して、自己の内面を見つめる句を詠んだ俳人です。
季語
この句の季語は「はまなす」、季節は「夏」です。
草田男は「はまなす」を「玫瑰」と漢字で表記しています。
はまなすは、海岸付近に生える落葉低木のことで、赤紫色の花を夏に咲かせ、秋には赤い実がみのります。
はまなすは海辺に生える植物ですが、海辺とは植物にとってけしてよい環境ではありません。
風も強く、海水には塩分もあります。そんな中ではまなすは砂地を這うように根を下ろし、実をつける、生命力の強い木なのです
意味
こちらの句を現代語訳すると・・・
「浜辺には、幼い日に見たのと同じはまなすの赤い花がさいている。幼い日に海の向こうに未来を夢見たが、今も同じように海の向こうに未来があるのだ。」
という意味になります。
この句が生まれた背景
この句は、中村草田男の第一句集「長子」所収の句です。
昭和8年(1933年)、草田男が33歳の時に詠んだ句になります。
草田男は、自然を写生するように観察しながら心理描写を投影していく表現を作り上げ、思想や観念をうたう現代俳句の道筋を作ったといわれています。
今回の句においても「はまなす・沖」という自然写生、その中に込められる作者の心理描写を上手く投影しており、草田男らしい句の特徴がにじみ出ています。
「はまなすや今も沖には未来あり」の表現技法
こちらの句で用いられている表現技法は・・・
- 切れ字「や」(初句切れ)
- 暗喩
になります。
切れ字「や」(初句切れ)
切れ字とは、句の中の感動の中心を表す言葉で、「かな」「や」「けり」などが代表的なものです。「~だなあ」というように訳されることが多いです。
この句では、「はまなすや」の「や」が切れ字に当たります。
浜辺に昔と変わらず咲くはまなすの姿が、作者にとって強い感動をもたらしたのだということがわかります。
また、この句は初句に切れ字がきているので、「初句切れ」の句となります。
暗喩
暗喩とは、比喩・たとえの表現のひとつです。
暗喩は「~のような」「~のごとし」などのような言葉を使わず、たとえるものを直接結びつけ、言い切るように表現する技法です。
暗喩に対して、「~のような」、「~のごとし」といった比喩であることが分かるような言葉を使ったたとえの表現は直喩といいます。
(※例を挙げると、「彼女の笑顔はひまわりの花のようだ。」という表現は直喩、「彼女の笑顔はひまわりの花だ。」という表現は暗喩です)
この句では、【沖には未来あり】と言い切っています。
「未来という形のないものが沖にあるように感じられる」ということですが、回りくどい言葉を使わず、「未来あり」と言い切ることで未来という言葉の印象を強めています。
「はまなすや今も沖には未来あり」の鑑賞文
【はまなすや今も沖には未来あり】の句は、中村草田男の代表的な句のひとつです。
この句の近景ははまなすの花。遠景として、海がはるか沖まで広がっています。
作者は、幼い頃に花や実で遊んだ思い出もあるでしょう。この句では、懐古・郷愁をさそうものとしてはまなすが詠まれています。
かつて、はまなすの生えている浜から遠い海を眺め、未来を夢見たこともあったでしょう。
時が経ち、幼い日に思い描いた未来をそっくりそのまま手に入れたということはないかもしれません。
しかし、大人になって、ふたたび浜に咲くはまなすを見た時に、幼い日に夢見た未来を信じる気持ちが沸き上がってきたことを詠んでいるのでしょう。
初句の「はまなすや」で、はまなすの花のかつてと変わらない様に懐かしさをおぼえ、心を動かされたことが表現されています。作者は過去を思い、そのあと作者の視線ははまなすから遠い沖までのびていきます。つまり、沖は未来を示すものでもあるのです。
空間的には、作者を中においてはまなすと遠い沖が対比されます。
さらに、はまなすの象徴する過去、作者の現在、沖が示す未来、と現在・過去・未来が並べられ時間的な対比もなされています。
「今も未来あり」とありますが、助詞「も」に過去と変わらず今も、という意味合いがこめられ、「未来あり」と強く断定する言い切るところに希望を捨てず、ふたたび未来を信じる決意が感じられます。
作者「中村草田男」の生涯を簡単にご紹介!
中村草田男は明治34年年(1901年)、清国福建省に生まれました。
中村草田男の髪型見ると何故かこの食品サンプルを思い出してしまうんだよ。 pic.twitter.com/DvJCMkassb
— やっさんブル(川村ゆきえさん結婚おめでとう) (@atataka_yassy) November 29, 2015
福建省に生まれたのは、旧松山藩、愛媛県の出身の父親が外交官だったためです。
本名を中村清一郎といい、帰国後は、東京や愛媛の松山で大きくなります。
西洋思想に興味をもち、ドイツの哲学者ニーチェにも傾倒します。
東京大学文学部ドイツ文学科に入学後、短歌や俳句に触れて句作に目覚め、国文科に転科して卒業。その後、高浜虚子や水原秋桜子に師事しました。
中村草田男は、自己の追求と俳句への追求を重ね合わせ、自らの内面を生活に密着した句で表現しようとした人間探求派の俳人と言われました。
昭和58年(1983年)に82歳で肺炎で亡くなりました。
中村草田男のそのほかの俳句
- 蟾蜍(ひきがえる) 長子家去る 由もなし
- 冬の水 一枝の影も 欺かず
- 万緑(ばんりょく)の 中や吾子の 歯生え初むる
- 勇気こそ 地の塩なれや 梅真白
- 葡萄食ふ 一語一語の 如くにて
- 降る雪や 明治は遠く なりにけり