【月光ほろほろ風鈴に戯れ】俳句の季語や意味・表現技法・鑑賞・作者など徹底解説!!

 

俳句は五・七・五の十七音で表現する、世界でも短い詩の1つです。

 

季節の自然や出来事を取り入れた季語を詠み込むことによって、多彩な表現と感情を表現できます。

 

今回は、荻原井泉水の有名な俳句の一つである「月光ほろほろ風鈴に戯れ」をご紹介します。

 

 

本記事では、「月光ほろほろ風鈴に戯れ」の季語や意味・詠まれた背景・表現技法・作者について徹底解説していきますので、ぜひ参考にしてみてください。

 

「月光ほろほろ風鈴に戯れ」の作者や季語・意味・詠まれた背景

 

月光ほろほろ 風鈴に戯れ

(読み方:げっこうほろほろ ふうりんにたわむれ)

この俳句の作者は「荻原井泉水(おぎわらせいせんすい)」です。

 

荻原井泉水は大正時代から昭和の終わり頃まで活躍した俳人で、五七五の十七音にとらわれない自由律俳句の牽引者でした。

 

 

意味

この句を現代語訳すると・・・

 

「月の光がほろほろと降り注ぐ夜に、月の光と戯れるように吹く風で風鈴が鳴っている。」

 

という意味です。

 

「ほろほろと」とは、花や涙が静かにこぼれ落ちていく様子を表す表現です。静かな月夜に音を立てないように風が吹き、風鈴を鳴らしている様子が想像できます。鳥の声や笛の音を「ほろほろ」と表現することもあるため、月の光と風鈴の両方に掛かっている表現です。

 

また、「戯れ(たわむれ)」と擬人法を使って詠むことで、月の光と風鈴を鳴らす風が遊んでいるような幻想的な風景が浮かんできます。激しい風が雲を吹き払って風鈴を鳴らしているのではなく、月光も夜の空気も風もやわらかいイメージを持たせる表現です。

 

季語

 

この句の季語は無季自由律俳句のため無しとする説と、実際に目にした光景を詠んでいるため季語のある自由律俳句として「風鈴」で、夏の季語とするものの2つの説があります。

 

「月」も秋の季語ですが、ここでは風に揺れて鳴っている風鈴が主軸になるので風鈴が季語です。

 

荻原井泉水は初期から季語と五七五の韻律にとらわれない無季自由律俳句を提唱していますが、自由律俳句には季語を詠み込んだものもあるため解釈がわかれています。

 

戦前は夜の明かりが今よりも少なく、自動車などの通る音もほとんどありませんでした。煌々と照る月の光と、聞こえてくる風鈴の音は、現在のものよりも強く印象に残ったことでしょう。

 

詠まれた背景

この句は1912年から1945年までの作品をまとめた『源泉』という句集に収録されているため、この期間に詠まれたものです。

 

作者は大学卒業後すぐに新興俳句の雑誌を主宰していること、1923年に妻や母を相次いで亡くして仏道を志し遍歴の旅を始めることから、どこか侘しさを感じるこの俳句は1923年以降に作られたとする説もあります。

 

また、戦時中の作者は「私達の生きた気持をそのまゝ手榴弾のやうに投げつける内在律俳句の方が、その適任者として存分に働き得るのである」と語っているほど俳句に強い心情をぶつけているため、第二次世界大戦が始まる前に詠まれたことが考えられます。

 

「月光ほろほろ風鈴に戯れ」の表現技法

「戯れ」の体言止め

「戯れ」は「戯れる」の連用形が名詞となった形で、「転成名詞」と呼ばれる形の名詞です。元は連用形ですが名詞のため、体言止めの俳句になります。

 

体言止めで終わらせることにより、風鈴と戯れるように月の光が降り注ぐ雲ひとつない夜空であるという強調の効果がもたらされています。

 

擬人法

月の光が風鈴と戯れている、という月の光や風鈴を人に例える擬人法を使用しています。

 

普通に表現すると「月光に照らされた風鈴が鳴っている」となるところを「戯れ」と書くことで、風鈴が不規則に鳴っていることやほのかな月明かりに照らされていることなどがイメージしやすくなっています。

 

句切れなし

この俳句は言い切りの言葉や「や」「かな」「けり」など詠嘆の終助詞による句切れがありません。

 

句切れは断定の「けり」や感嘆の「や」「かな」「けり」を使うことで、余韻を持たせたり直前に詠んだものを強調する効果があります。この俳句にはどちらも使われていないため、「句切れなし」となります。

 

「月光ほろほろ風鈴に戯れ」の鑑賞文

 

この句は、月の光に照らされて揺れる風鈴の音が聞こえるという、写実的にも幻想的にも取れる一句です。

 

写実的であると考えれば季語が「風鈴」となり、幻想的であると考えれば季語にとらわれない無季の自由律俳句となります。

 

「ほろほろ」という光に対して使う擬態語ではない表現を使用することで、言葉のリズムから優しい月の光であるということを表すと同時に、風鈴の鳴り方も激しいものではないという調和を表す秀逸な表現方法です。

 

伝統的な五七五の韻律にとらわれずに自由な俳句を目指した作者の代表句とされているのもうなずけるほど、伝統から脱却しつつ写実表現と心象風景を融合させた一句と言えるでしょう。

 

作者「荻原井泉水」の生涯を簡単にご紹介!

 

荻原井泉水(おぎわら せいせんすい)は、1884年に東京都浜松町の雑貨店に生まれました。本名は幾太郎、または藤吉といいます。

 

荻原は中学の頃から俳句を作り始め、1908年に東京帝国大学を卒業します。

 

 

1911年には従来の花鳥風月を重んじる写実的な伝統俳句ではない新傾向俳句の機関誌として「層雲」を主宰し、尾崎放哉や種田山頭火、橋本夢道、野村朱鱗洞など多くの自由律俳句の俳人を育てました。

 

戦時中は日本俳句作家協会に理事として就任していますが、多くの作家が参加した日本文学報国会俳句部会には参加していません。

 

戦後も「層雲」を通して自由律俳句を牽引し、自由律俳句の俳人としては唯一の日本芸術院会員に選ばれたり、昭和女子大学で教鞭を取ったりするなど精力的に活動を続けましたが、1976年に亡くなりました。

 

作風は季語にとらわれない無季自由律俳句を主とします。「自由」とつくことから戦時中は左傾的な文学とされ、「内在律俳句」とも呼んでいました。門弟の種田山頭火と比べると季語に分類される表現は使っているため、完全な無季自由律俳句との過渡期と言える作風です。

 

荻原井泉水のそのほかの俳句

 

  • うちの蝶としてとんでいるしばらく
  • 咲きいづるや桜さくらと咲きつらなり
  • 若葉わさわさ風におどる喜び
  • 水をはると水田はうつくしほととぎす
  • 山の昼月に馬車を待つ少年
  • 棹さして月のただ中
  • 石のしたしさよしぐれけり
  • わらやふるゆきつもる