俳句は五七五の十七音に季節を表す季語を詠みこんで、さまざまな風景や心情を表す詩です。
江戸時代に始まった俳句は明治大正を経て、季語を読まない無季俳句というジャンルを生み出しました。
今回は、無季俳句の名手と呼ばれた「篠原鳳作(しのはら ほうさく)」の有名俳句を20句紹介します。
篠原鳳作(1906-1936)俳人 無季定型
「しんしんと肺碧きまで海の旅」
「幾日はも青うなばらの円心に」#作家の似顔絵 pic.twitter.com/z5ndE7PV3b— イクタケマコト〈イラストレーター〉 (@m_ikutake2) September 13, 2014
篠原鳳作の人物像や作風
(篠原鳳作 出典:Blog鬼火~日々の迷走)
篠原鳳作(しのはら ほうさく)は、1906年(明治39年)に鹿児島県鹿児島市に産まれました。
大学在学中の1928年に「ホトトギス」に初入選を果たし、「京鹿子」「馬酔木」など多くの俳句雑誌に投句するなど積極的な活動をしていました。その後、1929年に東京帝国大学を卒業しますが、病弱と就職難により帰郷し、句作に没頭する生活を送ります。
そして1931年に沖縄県の宮古高等学校に教師として赴任すると、無季俳句の名手として頭角を表していきます。
その後、吉岡禅寺洞に師事し、「天の川」へ投句活動を行っていきます。1934年に故郷の鹿児島へと戻りますが、生来の病弱さがたたり、1936年(昭和11年)に30歳という若さで亡くなりました。
天の川の年の終わりにふさわしく篠原鳳作句碑を見に来た pic.twitter.com/ziUQj4zkVY
— Ayaka Sato (@kamonnohashi) December 30, 2017
篠原鳳作の無季俳句は、鹿児島や沖縄といった従来の四季の季語ではおさまらない自然に対して、吉岡禅寺洞に相談したところから始まりました。
鳳作は吉岡禅寺洞から「俳句は季がなくても作れるので気にしないように」という返事を受けました。そのため、篠原鳳作の俳句は、南国の美しい自然を季節や季語にとらわれずに詠んだ俳句が多いのが特徴です。
篠原鳳作の有名俳句・代表作【20選】
【NO.1】
『 草餅や 弁財天の 池ほとり 』
季語:草餅(春)
意味:草餅が売っている。ここは弁財天を祀る池のほとりだ。
作者は人生の大半を鹿児島と沖縄で過ごしていますが、大学時代は上京していました。弁財天と池というキーワードから連想されるのは不忍池なので、上京した時の春の様子を詠んだ句だと考えられます。
【NO.2】
『 春暁や 声の大きな 水汲女 』
季語:春暁(春)
意味:春の明け方に水を汲む声が大きい女性がいるようだ。
「暁」はちょうど夜明けを迎えた時間帯を指す言葉です。まだ朝も早いのに元気よくお喋りをする女性の声で目を覚ましてしまった様子を詠んでいます。
【NO.3】
『 火の山は うす霞せり 花大根 』
季語:花大根(春)
意味:火の山のような桜島はうすい霞がかかっている。大根の花が咲いたようだ。
九州には多くの火山がありますが、作者は幼少期である1914年に桜島の大噴火を見ています。そのため作者の詠む「火の山」は桜島を示していると解釈できます。
【NO.4】
『 満天の 星に旅ゆく マストあり 』
季語:無季
意味:満天の星空のもとに旅をしているマストが見えている。
海をテーマにした無季俳句の連作の1つです。満天の星空にマストが黒々とした影になって浮かんでいることで、夜でも航行している船があるんだと実感しています。
【NO.5】
『 にぎりしめ にぎりしめし掌に 何もなき 』
季語:無季
意味:握りしめ、握りしめている手のひらには何も握られていない。
この句は赤ちゃんをテーマにしている一句です。赤ちゃんは反射的に手を握るため、大人と違って手を握っていても何も持っていないことが多いという観察眼が光ります。
【NO.6】
『 蟻よバラを 登りつめても 陽が遠い 』
季語:蟻(夏)
意味:アリよ、バラを登りつめても太陽は遠いよ。
バラの花をのぼっていくアリと、太陽までの遠さという遠近感に加えて物事の大きさを対比した一句です。夏の強い陽射しの中でアリを観察する作者が浮かんでくる句になっています。
【NO.7】
『 浜木綿(はまゆう)に 流人(るにん)の墓の 小ささよ 』
季語:浜木綿(夏)
意味:浜木綿の花が咲く島で、流人の墓はなんと小さいことか。
「浜木綿」は浜辺に咲く白い花で、花を木綿に見立てたことから名付けられました。作者が赴任した宮古島などの島は古来より流刑地として使われており、その人たちの墓の小ささに時間の流れを痛感しています。
【NO.8】
『 炎帝(えんてい)に つかへてメロン 作りかな 』
季語:炎帝(夏)
意味:炎帝に仕えるようにメロンを作っていることだ。
「炎帝」とは夏を司る神のことで、沖縄で詠まれていることもふまえて非常に厳しい暑さの中で働いている様子が一言で表されています。天気の様子を気にしながらメロン作りを行う様子を「つかへて」と表現している一句です。
【NO.9】
『 夜もすがら 噴水唄ふ 芝生かなり 』
季語:噴水(夏)
意味:夜もすがら噴水の水が歌うように跳ねている芝生だなぁ。
「夜もすがら」とは日暮れから夜明けまでの時間帯のことで、人がいないときの噴水の様子を詠んでいます。噴水は夜も止められることがなく、夜の静けさの中でまるで歌うように音を立てていたのでしょう。
【NO.10】
『 しんしんと 肺碧きまで 海のたび 』
季語:無季
意味:しんしんと肺にしみ込むほど青い海の旅路だ。
海を題材とした無季俳句の1つで、多くの俳人に絶賛された作者の代表句です。「しんしんと」は自身の病弱さにもかかっていて、その意識が目や耳ではなく「肺」というめずらしい表現につながったと言われています。
【NO.11】
『 颱風(たいふう)や 守宮(やもり)は常の 壁を守り 』
季語:颱風(秋)
意味:台風が来た。ヤモリはいつもの壁を守るようにはりついている。
台風の暴風にも負けずに壁にはりついているヤモリを詠んだ一句です。その名のとおり家の中によく出るヤモリがいつもの壁にいるのを見て守っているように感じたのでしょう。
【NO.12】
『 夜々白く 厠の月の ありにけり 』
季語:月(秋)
意味:夜中にトイレに起きると、月が白く輝いていた。
作者はこの句で「ホトトギス」に初入選を果たしました。不意に夜中に起きて空を見上げたときの月の美しさを詠んでいます。
【NO.13】
『 明月や 海に横たふ 熔岩の島 』
季語:明月(秋)
意味:明るい月が出ている。海に横たうように溶岩の島が見えている。
この句を詠んで松尾芭蕉の「荒波や 佐渡によこたふ 天の川」を連想した人も多いでしょう。同じような発想で煌々と海を照らす月と、その光に照らされる火山活動でできた島を詠んでいます。
【NO.14】
『 鱶(さめ)のひれ 干す家々や 島の秋 』
季語:秋(秋)
意味:サメのヒレを干す家々が見える島の秋だ。
サメは冬の季語ですが、島と見えることから作者が宮古島など南方の暖かい地域にいた時に詠まれた句だと考えられます。そのため「島の秋」と秋の風景であることを強調しているようです。
【NO.15】
『 いろいろの 案山子に道の たのしさよ 』
季語:案山子(秋)
意味:色々な形の案山子が立っていて道を歩く楽しさよ。
色々な顔や形の案山子が見える道を歩いているときの一句です。案山子にはオーソドックスな人形のものもあれば着ているものや模様を工夫するものなど色々な種類があるため、見ていて飽きない道中だったのでしょう。
【NO.16】
『 おでん食ふよ 轟くガード 頭の上 』
季語:おでん(冬)
意味:おでんを食べているよ。電車の音が頭上から轟くガード下で。
電車のガード下にあるお店でおでんを食べている日常風景を詠んだ句です。いまでは区画整理で少なくなりましたが、ガード下の飲食店は学生やサラリーマンの憩いの場でした。
【NO.17】
『 ふるぼけし セロ一丁の 僕の冬 』
季語:冬(冬)
意味:古ぼけたセロを一丁抱えている僕の冬だ。
「セロ」とはチェロのことで、全長が120cmほどある大型の楽器です。そんな大きなチェロを持って歩いているのが自分の冬の風景なのだという哲学的な意味を感じる句になっています。
【NO.18】
『 雪晴の ひかりあまねし 製図室 』
季語:雪晴(冬)
意味:雪が降った後の晴れの日の光があまねく照らし出す製図室だ。
「製図室」という精密さが求められるために暗いイメージのある場所に、降雪後の晴天の陽の光がさしこんでいるという絵画のような一句です。雪に反射した強い光が製図室を明るく照らしています。
【NO.19】
『 ストーブや 国みなちがふ 受験生 』
季語:ストーブ(冬)
意味:ストーブが付いている。出身地域がみんな違う受験生たちだ。
作者は現在の東京大学の出身です。そのため、受験のときは出身地域が違う受験生たちと共に試験を受けていたと考えられるので、その時の様子を詠んだ句でしょう。
【NO.20】
『 慈善鍋 三井銀行の 扉の前に 』
季語:慈善鍋(冬)
意味:慈善鍋の募金箱が三井銀行の扉の前に置いてある。
「慈善鍋」とは「社会鍋」とも呼ばれ、年末にかけてキリスト教のある宗派が行う募金活動のことです。銀行というお金のやり取りをしているすぐ前で行われていることに少し皮肉めいた感情を持っていることが読み取れます。
以上、篠原鳳作の有名俳句20選でした!
今回は、篠原鳳作の作風や人物像、有名俳句を20句紹介しました。
鹿児島と沖縄を中心に活動した作者の俳句には、花鳥風月や四季にとらわれない南国の風景が多く詠まれているのが特徴です。
日本列島の四季の枠組みの外にある風景に出会ったら、ぜひ無季の俳句を詠んでみてください。