日本には近現代になってから詠まれた俳句も数多くあります。
その中には、恋心をテーマにした作品も多いものです。
今回は恋心をテーマにした作品の中から「逢いに行く開襟の背に風溜めて」という句をご紹介します。
逢ひに行く開襟の背に風溜めて(草間時彦) 以前後輩に教えてもらった好きな句、溜まるほどの風ということはきっと向かい風なんだろうな、それでも行くんだなとふと思う。
— ソウシ (@sixia0uT8BMBIgp) November 18, 2018
本記事では、「逢いに行く開襟の背に風溜めて」の季語や意味・表現技法・作者について徹底解説していきますので、ぜひ参考にしてみてください。
目次
「逢いに行く開襟の背に風溜めて」の季語や意味・解釈
逢いに行く 開襟の背に 風溜めて
(読み方 : あいにいく かいきんのせに かぜためて)
こちらの句の作者は、「草間時彦(くさま ときひこ)」です。神奈川県出身、昭和・平成期の俳人です。
この句は作者が大好きな女性に逢うために、暑い夏の日差しの中を自転車をこいでいる様子を詠んだ作品です。
彼女のために一生懸命自転車をこぐ様子や、暑さも平気なほどその女性へ強い想いがあることがわかります。
季語
こちらの季語は「開襟(かいきん)」で、季節は「夏」を表します。
「開襟」とは、夏の暑い時期に着る「開襟シャツ」のことを指します。
意味&解釈
こちらの句を現代語訳すると・・・
「開襟シャツの背に風を溜めながら、私は君に逢いに行くよ」
となります。
この句からは大きく襟元の開いた開襟シャツの中へ風が入り、背中に風がたまって膨らんでいる状態にあることがうかがえます。
つまり、作者は自転車を一生懸命漕いでいると連想できます。
「今から大好きなあなたに逢いに行くよ。自転車を一生懸命こいで、開襟シャツの背中に風をためながら」と恋心を詠んだ作品であることがわかります。
「逢いに行く開襟の背に風溜めて」の表現技法
倒置法
こちらの俳句で使われている表現技法は「倒置法」です。
「倒置法」とは、語や文節を普通の順序と逆にして語勢を強めたり、語調を整える技法です。
本来ならな動詞である「逢いに行く」は、「開襟襟の背に風溜めて逢いに行く」と文末に来ます。
しかし、こちらの作品のように「逢いに行く」を文末に置くことにより、インパクトのある作品に仕上がっています。
初句切れ
この句の最初の部分「逢いに行く」で一呼吸おいて、次の「開襟の背に風溜めて」に繋いでいます。
このように初句の部分で切れていますので「初句切れ」の句となります。
句に区切りを入れることにより、この句の主体である「逢いに行く」が強調された形になっています。
「逢いに行く開襟の背に風溜めて」の鑑賞文
【逢いに行く開襟の背に風溜めて】は、夏の暑さが厳しいある日、大好きな彼女と待ち合わせをしている場所に向かっているワンシーンを詠んだ作品です。
少しもで早く逢いたいという想いから、筆者が自転車を立ち漕ぎしている様子がイメージできます。
「一生懸命ペダルを漕いでいると、自ずと開襟シャツの襟元から風が入り、背中が大きく風によって膨らんで来る。その膨らんだ背中は、僕が彼女を好きでたまらない気持ちと同じなのだ。だんだん、ペダルが重くなりつらいけれどもそれでも彼女に一刻でも早く逢いたいから、頑張って漕ぎ続ける。」
このような彼女への強い恋心を詠んでいます。
爽やかな青年の恋心、そして青春の一コマを見ているかのような句です。
作者「草間時彦」の生涯を簡単にご紹介!
草間時彦は1920年(大正9年)に東京で生まれ、その後は神奈県で育ちました。
祖父は、現在の松山中学校で校長を務めたのち、民権派ジャーナリストとして活躍し、また「渋柿」の俳人でもありました。父である草間時光水原秋桜子に師事していた俳人でもあり、鎌倉市長でもあったとのことです。
時彦氏は結核のため20歳で学業を諦め、逗子で療養。29歳の時に水原秋桜子に師事し、俳句をはじめました。
同年に結婚、31歳から25年間サラリーマン生活を送り俳句を詠んでおり、「サラリーマン俳句」と呼ばれ親しまれていました。
1955年には鶴賞を受賞し、俳人・評論家としても活躍。1975年に俳人協会常任理事に就任し、俳句文学館の建設に励みます。その後、詩歌文学館賞、蛇笏賞を受賞しています。
2003年に腎不全により83歳で死去しました。
軽快な切り口ながらに、その根底にが死生観も伺える作品だと言われており、晩年になるとシミジミとした作品が多くなりました。
草間時彦のそのほかの俳句
- 公魚をさみしき顔となりて喰ふ
- 冬薔薇や賞与劣りし一詩人
- 大粒の雨が来さうよ鱧の皮
- 好色の父の遺せし上布かな
- 木の卓にレモンまろべりほととぎす
- 甚平や一誌持たねば仰がれず
- 秋鯖や上司罵るために酔ふ
- 色欲もいまは大切柚子の花
- 茶が咲いて肩のほとりの日暮かな
- 足もとはもうまつくらや秋の暮