うつろう四季の美しさ・自然の見せる絶景・日々の心の揺らぎなど…短い言葉で詠みこむ「俳句」。
数多くの句が詠まれ、鑑賞され、愛されていますが、名句と呼ばれる句は文学としても非常に優れた価値を持っています。
今回はそんな数ある俳句の中でも有名な「くろがねの秋の風鈴鳴りにけり」という飯田蛇笏の句をご紹介します。
くろがねの秋の風鈴鳴りにけり#飯田蛇笏 pic.twitter.com/p0N1wItAdD
— tommy (@tommy777_tommy) August 31, 2016
本記事では、「くろがねの秋の風鈴鳴りにけり」の季語や意味・表現技法・鑑賞文・作者について徹底解説していきます。
ぜひ参考にしてみてください。
目次
「くろがねの秋の風鈴鳴りにけり」の作者や季語・意味・詠まれた背景
くろがねの 秋の風鈴 鳴りにけり
(読み方:くろがねの あきのふうりん なりにけり)
こちらの句の作者は「飯田蛇笏(いいだ だこつ)」です。
飯田蛇笏は明治から昭和にかけて活躍した俳人の一人です。美しい自然を詠み込んだ句を多く作りました。
正岡子規や高浜虚子の「ホトトギス」に投句し、自然を客観的に写生し詠む伝統的な俳句の一派です。
一度進学のために上京していますが、帰郷した後は要請があっても故郷である山梨県に留まったまま、「雲母」という俳句雑誌の主宰をしていました。
季語
この句の季語は「秋」です。
「風鈴」と「秋」という2つの季語が並んでいる場合、どちらが「強い季語」なのかを考えます。
この句の場合は、「秋になっても出しっぱなしにされている風鈴」という意味になるため、風鈴ではなく秋が季語になります。
意味
こちらの句を現代語訳すると・・・
「黒鉄でできた風鈴が、秋の風に鳴っているなあ」
という意味になります。
「くろがね」とは、黒鉄のこと。南部鉄器などの鋳物でできた風鈴です。
いつしか夏が過ぎ去り、季節外れの鉄の風鈴が、今は秋の涼やかな風に揺られている情景を詠んだ句になります。
この句が生まれた背景
こちらの句は、飯田蛇笏が昭和8年に詠んだ作品で、昭和12年刊行の飯田蛇笏の第二句集「霊芝(れいし)」に所収されています。
「霊芝」には昭和8年の句が44句収められていますが、この「くろがねの」の句のころの作として・・・
音のして 夜風のこぼす 零餘子(むかご)かな
(意味:音を立てて、夜風に吹かれて落ちていくむかごがあることよ。)
※むかごとは、山芋のつるにできる小さな芋のような芽のこと。秋の季語。
という句があります。
「くろがねの」の句にしても、「音のして」の句にしても、風の立てる音を繊細な感覚で拾い上げて句にしているのです。
また、句集「霊芝」の奥書(おくがき)に・・・
「霊芝は深山幽谷に自生する一種の茸類である。けれども決して食用たるものではない。別にまんねんたけとも名づけられてゐる。…中略…遊学後二十余年にわたる山中生活の長い間に、二度ほどこれを深山に発見したことがある。一度は、老樹の下の清浄と乾いた山土に。一度は、青苔に覆われた巨巖の根ほとりに。」
と蛇笏自ら記しています。
【霊芝(別名:まんねんたけ)】は、他にもサルノコシカケという名もあります。
蛇笏が述べているように、食べられるキノコではありませんが、薬効があり、薬の材料として珍重されるものでもあります。
甲州の農村に暮らす蛇笏は、山里の風物を丁寧に句に折り込んでいました。
「くろがねの秋の風鈴」を鳴らした風も、その山里を吹く優しい風であったのです。
「くろがねの秋の風鈴鳴りにけり」の表現技法
切れ字「けり」(句切れなし)
俳句では、「かな」「や」「けり」などの言葉を切れ字と呼びます。感動の中心を表す言葉で、「…だなあ」と言うような意味になります。
この句では「鳴りにけり」の「けり」が切れ字に該当します。
「けり」という切れ字は、「かな」「や」に比べて、強く言い切る言葉ですので、季節外れの風鈴の音に作者は強い感興を催したのでしょう。
一句の中で、句点「。」がつくところ、切れ字があるところを句切れと呼びますが、この句は結句の「鳴りにけり」まで切れるところはありません。
このような句を「句切れなし」と呼びます。
「くろがねの秋の風鈴鳴りにけり」の鑑賞文
【くろがねの秋の風鈴鳴りにけり】の句は、風鈴を鳴らす風に夏が終わり秋を実感している句です。
「くろがねの」とは、「鉄製の、鋳物の」ということですが、風鈴の材質をわざわざ「くろがねの」と言及し、「くろがねの」と言う重々しい言葉で句を始めているところにこの句の特徴があります。
「くろがねの秋の」という出だしの言葉から、「くろがねの秋」とは何だろう?と一瞬考えさせられます。
そして、読み進めれば「くろがねの」は「風鈴」にかかる言葉だとわかりますが、「くろがねの」の出だしの重々しさに、風鈴の音も季節外れに沈んだ音なのかもしれないと思えてきます。
また、古来、秋の訪れは風によって知覚されるものでした。日本最初の勅撰和歌集「古今和歌集」に
「秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる」
(意味:秋が来たことははっきりと目には見えないのだが、風の音に秋の気配を感じ、ハッとしたことだ)
という歌があります。秋は風の気配で知るものというのは日本の詩歌の伝統なのです。
また、陰陽五行説の考え方からくる言い方ですが、秋のことを白秋と言う言い方もあります。そこから、秋風のことを「白風」と言うこともあり、俳句でも使われます。
そこから考えると、「白い秋の風が黒い風鈴を鳴らしていく」という色彩感も感じられます。
「くろがねの秋の風鈴鳴りにけり」の補足情報
句の初稿
この句は最初に昭和8年の「雲母」に投句されました。
その際は今とは表記が全く異なっていて、「鐵の秋ノ風鈴鳴りにけり」となっています。
「鐡」のところには「クロガネ」とカタカナでルビが振られ、「秋ノ」の「ノ」は漢文の書き下し文のように小さい文字が使われていました。あたかも漢詩の一節を俳句に落とし込んだ状態がこの句の初稿だったのです。
その後、第二句集である『霊芝』に収録された際には、現在と同じ「くろがねの秋の風鈴鳴りにけり」になっています。
漢詩調の重厚な俳句から、どこか軽やかな風鈴の音が聞こえてくるような感覚がする俳句に変わっています。
この句に関して作者の息子である飯田龍太は、「一句の重心がさがり、風鈴の音はひとしお凄然とひびく。」(『日本名句集成』)と述べています。
「鐡」という重い感覚をもたらす初句を「くろがねの」と平仮名にすることによって、俳句の流れが秋になっても吊るされたままの風鈴の音に集約されていくのです。
くろがねの風鈴とはどんな音?
風鈴にはガラスや鋳物、磁器など様々なものがあります。
それぞれ音の鳴り方が変わってくるため、この句を理解するためにどのような違いがあるか例をあげてみましょう。
まずはよく見るガラス製の風鈴です。江戸風鈴が有名でしょうか。鳴り口をギザギザにすることで繊細な音を目指したと言われ、「チリンチリン」と鳴ります。我々が想像する風鈴の音はこちらが多いのではないでしょうか。
一方で南部鉄器などに代表される鋳物で作られた風鈴は、「リーン」という高く澄んだ音が響きます。そのため、この句で詠まれている「くろがねの風鈴」は、長く余韻を残す音を立てていたと考えられます。
持ち主を待つように繊細な音を鳴らしていたのではなく、まるで呼び寄せるような高く澄んだ音を想定して書かれたのでしょう。
作者「飯田蛇笏」の生涯を簡単にご紹介!
(飯田蛇笏 出典:Wikipedia)
飯田蛇笏(いいだだこつ)は明治18年(1885年)山梨県出身です。本名は武治(たけはる)です。
山梨の豊かで美しい自然風土の中で育ち、幼少期から俳諧に親しんでいたと言われます。学生の頃に、正岡子規らの運動によって近代化した俳句を詠むようになりました。高浜虚子に師事、若いころから才能を発揮させていきます。
虚子が俳句を離れていたころは、蛇笏も「ホトトギス」への投句をやめていた時期がありましたが、伝統俳句を守ろうと虚子が俳句を再開するのを知ると自らも「ホトトギス」への投句を再開、大正期にはホトトギス派の代表的俳人として活躍しました。
俳句雑誌「雲母」(きらら のちに うんも)の主宰もつとめ、作句活動、俳句の普及活動につとめます。戦時中は「雲母」一時休刊、息子たちの戦死とつらい時代もありましたが、戦後も活動を続けました。
昭和37年(1962年)に77歳で病死しました。
飯田蛇笏のそのほかの俳句
(飯田蛇笏句碑 出典:Wikipedia)
- 死病得て爪うつくしき火桶かな
- たましひのたとへば秋のほたるかな
- 芋の露連山影を正しうす
- なきがらや秋風かよふ鼻の穴
- おりとりてはらりとおもきすすきかな
- 誰彼もあらず一天自尊の秋