日本には、これまでに有名な俳人によって詠まれた作品が多数残されています。
毎日の生活でふと気づいた、家族とのなにげない幸せを詠んだ俳句も数多くあります。
今回は数ある名句の中から「子の髪の風に流るる五月来ぬ」という大野林火の作品をご紹介します。
【今日出会った俳句】子の髪の風に流るる五月来ぬ 大野林火
— negitet (@NEGITET) May 10, 2015
本記事では、「子の髪の風に流るる五月来ぬ」季語や意味・表現技法・鑑賞文・作者など徹底解説していきますので、ぜひ参考にしてみてください。
目次
「子の髪の風に流るる五月来ぬ」の季語や意味・詠まれた背景
子の髪の 風に流るる 五月来ぬ
(読み方 : このかみの かぜにながるる さつきこぬ)
こちらの作品は、日本を代表する著名な俳人「大野林火(おおのりんか)」が詠んだ俳句です。
それでは、早速こちらの俳句について詳しくご紹介していきます。
季語
こちらの句の季語は「五月」で、季節は「夏」を表します。
五月はこの句では、「ごがつ」ではなく「さつき」と読みます。
5月と聞くと、春というイメージが強いかもしれませんが、「夏」を指す季語になります。
私たちは、現在「太陽暦」を使い生活をしていますが、俳句は「太陰暦」を用いているため、季節に誤差が生じるのです。
(※「太陽暦」=太陽が地球の周りを回転する周期を利用・「太陰暦」=月の満ち欠けを利用)
そのため俳句の世界では、以下のようになります。
- 1月〜3月 : 春
- 4月〜6月 : 夏
- 7月〜9月 : 秋
- 10月〜12月 : 冬
上記の通り、「五月(さつき)」は「夏」を指します。
意味&解釈
こちらの句を現代語訳すると・・・。
「子供の髪の毛が風になびいているよ。五月が来たんだなあ。」
という意味になります。
林火と子供が、外でのんびりとしている、ほのぼのとした様子が伝わって来ます。
「心地の良い五月の季節風に乗って、小さな我が子の柔らかい髪の毛がなびいている様子」がイメージできる、温かい作品です。
さらに深く解釈すると・・・・。
我が子の成長を日々の生活の中でふと感じ取る、そのような父親らしい愛情も感じ取れます。
また、五月という言葉から青々とした若葉と爽やかな薫風まで伝わって来る俳句です。
この句が詠まれた背景
こちらの句は、五月晴れが広がる中、林火と幼子が外出した際に詠まれたと言われています。
新緑の心地よい風がそよそよと爽やかに吹く中で、幼児のやわらかい髪の毛がたなびく様子を詠んでいます。
「五月(さつき)」「風」というたった2つの言葉で、穏やかな親子の団欒の様子が垣間見られる作品です。
「子の髪の風に流るる五月来ぬ」の表現技法
こちらの俳句の表現技法は・・・
- 「五月来ぬ」の「ぬ」の部分が「切れ字」
- 句切れなし
になります。
切れ字「ぬ」
こちらの俳句では「五月来ぬ」の「ぬ」が「切れ字」です。
「切れ字」は、自分が強調したい言葉を強める表現技法です。
これにより、読者が共感しやすい句に仕上がりますし、インパクトの残る作品になります。
句切れなし
こちらの俳句は、文章を締めくるる切れ字「ぬ」が末尾にあります。
このように、三句の末尾が切れ字や言い切りとなっている俳句は「句切れなし」の句となります。
また、俳句には感動を表現する言葉が含まれるのが一般的です。
こちらの俳句では「五月来ぬ(5月が来たんだなあ)」が伝えたい部分で、最後尾にあるため「句切れなし」となります。
「句切れなし」は、文章の途中に「句読点=。」がないため、文章を一文として捉えやすいです。
「子の髪の風に流るる五月来ぬ」の鑑賞文
【子の髪の風に流るる五月来ぬ】は、青々とした原っぱの中で、子供が遊んでいる様子を林火が温かいまなざしで見守っている姿をイメージできる作品です。
五月晴れの澄み渡った晴天のある日、季節風の爽やかな風に我が子の髪が流れるようにたなびく、たわいもない情景を詠んでいます。
愛する我が子とつつがない平穏な毎日を過ごせる幸せが感じ取れます。
また少し深読みすると・・・。
端午の節句を迎え、スクスクと育つ我が子の成長を願う父親の愛情も伝わって来る作品です。
作者「大野林火」の生涯を簡単にご紹介!
大野林火は、1904年3月25日に神奈川県横浜市に生まれました。林火は俳号で、本名は大野正(おおの まさし)です。
時雨馳せ鬱金の花のさかりなる [大野林火] sudden winter showers -
the turmeric flowers
blooming
(Ono Rinka)#俳句 #haiku pic.twitter.com/HB55yAgKk9— Michael Lambe (@deepkyoto) December 13, 2013
俳句の道へ入ったのは中学生時代で親友の父荻野清の父から指導を受けます。1921年「石楠」に入会し、臼田亜浪に師事し俳句の道を極めて行きました。
1927年に現在の東京大学(旧帝国大学)を卒業、会社員として働きはじめます。その3年後に、県立商工実習学校の教諭となりました。
1939年句集「海門」を刊行し、俳人として本格的に活動をはじめ、1948年には教諭の仕事を辞職し、俳句一筋の生活を送ります。1953年から角川書店『俳句』の編集長を勤め、活躍します。
その後、1964年「横浜文化賞」、1969年「蛇笏賞」、1973年「神奈川文化賞」を受賞。1978年には俳人協会会長に就任し、後継者育成にも力を注いでいました。
1982年に79歳で生涯を終えています。
大野林火のそのほかの俳句
- 吹かれつつ獅子舞とゆく伊良胡岬
- 湯にぬくめ喪の正月の五十の身
- 水底に元日の日のあふれけり
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年酒酌む夜発つ若者らと語り
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海に流れ出でて初日の荒筵
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未来ひとつひとつに餅焼け膨れけり
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年いよいよ水のごとくに迎ふかな
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手毬唄きこゆる生涯の家と思ふ
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万歳の三河の波の鼓のごとし
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橙垂れ道せばめたり蜑が家
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初御空大王松よりひらけたる
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獅子舞の来る町内に古りにけり
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唐子立つごとく十あまり福寿草
- 初昔白き卓布にうすき翳
- 日暮れてはつねの老人お元日
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いくさなきをねがひつかへす夜の餅
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ゆふぐれの枯木に独楽をぶつけたり
- 門川の音追うてゐる初昔
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この世よりあの世思ほゆ手毬唄
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年改まることのさだかに松の風
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田作の金色なすを嘉とせり