【尾崎放哉の有名俳句 20選】代表的な自由律俳人!!俳句の特徴や人物像・代表作など徹底解説!

 

俳句は五七五の十七音に季節を表す季語を詠み込む文学です。

 

江戸時代に始まった俳句は、明治大正を経て季語を詠まない無季俳句や、五七五の十七音の韻律ではない自由律俳句など多くの作風を生み出します。

 

今回は、無季自由律俳句の俳人として有名な「尾崎放哉(おざき ほうさい)」の人物像や有名俳句を紹介します。

 

 

俳句仙人
ぜひ参考にしてください。

 

尾崎放哉の人物像や作風

(尾崎放哉 出典:鳥取県立図書館

 

尾崎放哉(おざき ほうさい)は、1885年(明治18年)に鳥取県鳥取市に生まれました。

 

句作を始めたのは高校時代と早く、校友会雑誌に俳句や短歌を残していました。第一高等学校で夏目漱石に出会ったことで「一高俳句会」に入会し、夏目漱石に師事しています。この頃の尾崎放哉は伝統俳句が多く、「ホトトギス」への投句も行っていました。

 

「一高俳句会」で自由律俳句の旗手として有名な荻原井泉水に出会ったことにより、大学卒業後は無季自由律俳句を詠むようになります。「層雲」に投句を始めて頭角を表し、種田山頭火と並ぶ自由律俳句の代表的な俳人となりました。

 

1923年に無所有を掲げる「一燈園」に入ったことをきっかけに極貧生活を送り始め、句作に没頭します。この頃から自由律俳句に磨きがかかったと言われ、孤独を詠むものが多くなりました。1925年に荻原井泉水の紹介で香川県にある西光寺南郷庵に入庵しますが、翌1926年(大正15年)に肺病で亡くなっています。

 

 

尾崎放哉の作風は、旅という動的なものを主題とした種田山頭火に対して、寺や庵でじっと過ごしている静の中の孤独や無常を詠んだものが有名です。

 

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五七五の定型にとらわれない自由な作風は、後の自由律俳句の俳人たちに大きな影響を与えました。

 

尾崎放哉の有名俳句・代表作【20選】

 

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この句は「咳」が冬の季語ですが、ここでは作者の病気から来る咳を詠んでいるため無季となります。誰かの看護が欲しい激しい咳でも誰もいない、1人を痛感する作者の代表句です。

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晩年の貧困の生活の中で詠まれた一句です。施しを受けても入れる器がないという、ほとんどものを持たない生活を送っていたと言われています。

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「月」は秋の季語ですが、この句では季節を限定する意図がないため無季俳句に分類されることが多いです。月見といえば句会を開くことが多い印象のある俳人でありながら、1人で眺めながら眠るという作者の人柄が表れています。

【NO.4】

『 一人の道が 暮れて来た 』

【意味】1人で歩いてきた道が暮れて来た。

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「暮れ」という薄暗くなる日没を表現することによって、1人の孤独がより際立っている一句です。「道」という表現にはこれまでの人生を表しているという解釈もあります。

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昼間の月、という矛盾しているものを「うそをついたやうな」と表現しています。青空の下で見える月はうっすらと白く見えている程度で、まさに嘘のような月です。

【NO.6】

『 畳を歩く 雀の足音を 知つて居る 』

【意味】畳を歩いている雀の足音を知ってここにいる。

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眠っている時に入ってきた雀の物音を実際に聞いたのか、想像で軽い足音を想像しているのか、どちらの解釈もできる句です。「居る」という表現から、雀との生活を楽しんでいる様子も伺えます。

【NO.7】

『 流れに沿うて 歩いてとまる 』

【意味】流れに沿って歩いて止まる。

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「流れ」とだけ表現しているため、川などの水の流れに実際に沿って歩いて止まったのか、時間を流れと表現しているのか、いろいろな解釈ができます。「止まる」という明確な表現が自身の意思で止まったと強調している一句です。

【NO.8】

『 海風に筒抜けられて居る いつも一人 』

【意味】まるで海風に体が筒抜けられているようだ。いつも1人で海辺にたたずむ。

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「筒抜けられて」とは自分自身を1本の筒のように例え、海風が抜けていくことで自分がここにいるのだと自覚している表現です。「海風に」で切らずに一息に読むとより一層想像しやすくなります。

【NO.9】

『 ひとをそしる心をすて 豆の皮むく 』

【意味】人をそしる心を捨ててひたすらに豆の皮をむいていく。

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作者は晩年になるまでは酒癖が悪く、気まぐれな面があったようです。そのような心を捨てて、ひたすらに今日の食事の支度をしている静かな心境を詠んでいます。

【NO.10】

『 月夜の葦が 折れとる 』

【意味】月夜に葦が折れているのが見える。

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「折れとる」とは方言で、「折れている」という意味で使われます。「葦(あし)」という単語からはパスカルの「人間とは考える葦である」というフレーズを連想するため、折れた葦に自分自身を重ねて見たとも言われている句です。

 

【NO.11】

『 一日もの云はず 蝶の影さす 』

【意味】1日中物を言わずに過ごしていると、蝶の影がさした。

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思索にふけっていたのか、たまたま誰も来客のない日だったのか、静かな一日を過ごしている様子を詠んでいます。ふとさした影に目をやると蝶が飛んでいる、という春の陽気を詠んだ句です。

【NO.12】

『 春の山の うしろから煙が 出だした 』

【意味】春のぼんやりとした輪郭の山の後ろから煙が出だした。

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作者の辞世の句と言われている一句です。春の山は霞などでぼんやりとしており、その後ろから煙がどこからともなく出だしたというのどかな春を詠んでいます。

【NO.13】

『 酒のまぬ 身は葛水の つめたさよ 』

【意味】酒を飲まない身には葛水の冷たさがとても美味しい。

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「葛水(くずみず)」とは葛湯を冷やしたもので、夏の風物詩です。作者は晩年までは酒飲みとして知られていましたが、酒毒を消し胃腸を整えると言われる葛水をよく飲んでいたのでしょう。

【NO.14】

『 大空のました 帽子かぶらず 』

【意味】大空の真下で帽子をかぶらずに過ごす。

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この句の「大空」はいつの季節か指定されていないため、読んだ人によって想像する光景が変わってきます。夏の強い日差しなのか、春や秋の爽やかな日差しなのか、帽子もかぶらずに日に当たる健康的な様子が伺える句です。

【NO.15】

『 とんぼが 淋しい机に とまりに来てくれた 』

【意味】トンボが物がなく淋しい机に留まりに来てくれた。

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作者は晩年は寺に勤めるなどして物を持たない生活を送りましたが、好意で机を借りていました。この句に出てくる「淋しい机」もその借り物の机だったのかもしれません。

【NO.16】

『 紅葉明るし 手紙よむによし 』

【意味】紅葉の赤で日差しが明るく見える。手紙を読むに良い。

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紅葉を照らす日の光と、屋内で紅葉を見ながら手紙を詠んでいる作者の様子を詠んだ句です。作者の自体は今ほど照明が発達していないため、外からの反射で明るく見える季節はすごしやすかったことでしょう。

【NO.17】

『 あらしが すつかり青空に してしまつた 』

【意味】嵐がすっかりと曇天を青空にしてしまったなぁ。

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ここで詠まれている「あらし」とは台風のことだと言われています。どんよりと曇っていた空が台風一過で青空になったことをどこか残念がっているような面白い句です。

【NO.18】

『 わがからだ 焚火にうらおもて あぶる 』

【意味】冷えきった我が体を、焚き火に裏表を当てて炙るように温める。

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焚き火で手を温める時に、手のひらと手の甲をひっくり返して温める動作を自然とする人が多いでしょう。この句はそれを体全体で行っていて、焚き火の温かさが伝わってきます。

【NO.19】

『 障子あけて置く 海も暮れきる 』

【意味】障子を開けて置く。海も日が暮れきったように暗くなっていく。

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晩年の作者は海を好み、海が題材の俳句が多く詠まれています。「暮れきる」ほどに外が暗いことがわかるほど室内も暗く、じっと海の様子を観察している一句です。

【NO.20】

『 障子しめきつて 淋しさをみたす 』

【意味】障子をしめきると部屋に淋しさが満ちていくようだ。

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上の句と対になるような一句です。開け放して日没を見届けた後に障子を閉めると、一人ぼっちの部屋であることが殊更強調されて淋しさを感じています。

以上、尾崎放哉の有名俳句20選でした!

 

 

 

俳句仙人

今回は、尾崎放哉の作風や人物像、有名俳句を20句紹介しました。

自由律俳句では尾崎放哉の影響を受けた俳人が多くいるため、文学史上にとても重要な位置を占めています。
伝統俳句とは一味違った不思議な無季自由律俳句をぜひ楽しんでみてください。