五・七・五の十七音に四季を織り込み、詠み手の心情や情景を詠みこむ俳句。
 
名句と聞くと、「松尾芭蕉(まつおばしょう)」の作品を思い浮かべる方も多いのではないでしょうか?
 
 
今回は、俳聖と称された松尾芭蕉の人物像、俳句の特徴や代表作を徹底解説します。
 
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松尾芭蕉の特徴や人物像
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(松尾芭蕉 出典:Wikipedia)
 
松尾芭蕉(まつお ばしょう)は、江戸時代初めの元禄期に活躍した俳人です。当時は言葉遊びでしかなかった俳諧(はいかい)を、芸術の領域まで高め、俳聖とも称されました。
 
芭蕉が目指したのは、さび、しおり、細み、軽みなどを重んじ、静寂の中の自然の美や人生観を詠みこんだ俳句でした。幽玄・閑寂を尊ぶ句風は「蕉風(しょうふう)」と呼ばれ、多くの共感や賞賛をよび日本各地に広まっていきます。
 
芭蕉は10代後半に仕えた主君の影響により俳諧を学び始め、江戸へ出て武士や商人に俳句を教える傍ら、俳諧師として生きることを決意します。
 
多くの門人を従え、俳諧の世界で成功を収めた芭蕉ですが、40歳を過ぎるころから全国を巡礼しながら俳句を詠むという生き方にたどり着きます。
 
各地を旅する芭蕉は俳句だけでなく、東北・北陸での旅路をまとめた日本紀行文学の最高傑作とも言われる『奥の細道』を残しています。最後は大阪に向かって旅立った道中で体調を崩し、51歳の生涯に幕を閉じました。
 
 
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次に、松尾芭蕉の代表的な俳句を季節(春夏秋冬)別に紹介していきます。
 
 
 
松尾芭蕉の有名俳句・代表作【50選】
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(松尾芭蕉 出典:Wikipedia)
春の俳句【10選】
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【NO.1】
『 古池や 蛙飛び込む 水の音 』
季語:蛙(春)
現代語訳:古い池に蛙飛び込む音が聞こえてくる、なんて静かなのだろう
 
 
 
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「蛙が古池に飛び込む音が聞こえてきた」という単純な情景ですが、日常的な事物にしみじみとした味わいを見出す芭蕉ならではの名句です。当時は蛙といえば鳴く姿を詠むことが多かったのですが、水の跳ねる音に注目した点は新しい感覚でした。
 
 
【NO.2】
『 行く春や 鳥啼き魚の 目は泪 』
季語:行く春(春)
現代語訳:春が過ぎ去ろうとしていることに鳥は鳴いて悲しみ、魚は目に涙が浮かべている。より悲しみがわき上がってくる。
 
 
 
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芭蕉が旅立とうとする時に詠んだ句です。門弟や友人など多くの人が見送りに駆けつけ、別れを惜しむ様子を過ぎ行く春の惜別にかけて歌い上げています。当時の旅は命がけの危険さがあり、東北は方角的に鬼門となることから、不安要素も多かったことでしょう。
 
 
【NO.3】
『 山里は 万歳遅し 梅の花 』
季語:梅(春)
現代語訳:辺鄙(へんぴ)な山里では梅の花が咲く頃になって、ようやく万歳がやってきたことだ。
 
 
 
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「万歳」とは、新年を祝いながら民家を回る民俗芸能のことです。実入りの良い都会を先に廻ることから、田舎は後回しにされていたようです。梅がほころび始める頃にようやく訪れた万歳師を見て、正月気分が舞い戻ってきたかのように感じられます。
 
 
【NO.4】
『 山路きて 何やらゆかし すみれ草 』
季語:すみれ草(春)
現代語訳:山路を辿ってきて、ふと、道端にひっそりと咲くすみれの花を見つけ、なんとなく心惹かれることよ。
 
 
 
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すみれは可憐な花ではありますが、慎ましく健気に咲く姿に励まされ、険しい旅の疲れも癒されたことでしょう。山道の木々の切れ間に差し込む光の温かさや春の風情が感じられる一句です。
 
 
【NO.5】
『 草臥れて 宿借るころや 藤の花 』
季語:藤の花(春)
現代語訳:一日の旅に疲れ、そろそろ宿を求める頃合になってきた。ふと見ると、藤の花が見事に咲き垂れている。
 
 
 
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「草臥れて」は当時の口語表現であった「くたびれて」を現代語訳しています。晩春の夕暮れ時、疲れた身体でふと空を見上げると、淡い紫の藤の花が重く咲き垂れていました。けだるげな藤の風情にそこはかとない旅愁と春愁を誘う句です。
 
 
【NO.6】
『 しばらくは 花の上なる 月夜かな 』
季語:花(春)
現代語訳:今を盛りと咲き誇る花の上に月が照っている。しばらくは月下の花見ができそうだ。
 
 
 
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月の光を一身に浴びて輝く桜の花を描いた、日本人の情感に訴える美しい句です。いつまでも眺めていたいと思いながら、その光景は永遠に続くものではありません。やがて月は傾き、幻想的な美しさは儚く消えてしまう、そんな思いも詠みこまれています。
 
 
【NO.7】
『 ほろほろと 山吹散るか 滝の音 』
季語:山吹(春)
現代語訳:滝が激しい音を立てて岩間に流れ落ち、岸辺に咲く山吹の花は風も吹かないのにほろほろと散る。
 
 
 
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激しく流れ落ちる滝の音がいつまでも耳に響くような、聴覚に焦点を当てた斬新な一句です。自然に散っていく山吹の姿に、旅に生きる自分の人生を重ね合わせ儚さを感じています。
 
 
【NO.8】
『 花の雲 鐘は上野か 浅草か 』
季語:花の雲(春)
現代語訳:見渡せば雲と見間違うほど、桜が咲き誇っている。聞こえてくる鐘の音は上野の寛永寺であろうか、それとも浅草の浅草寺であろうか。
 
 
 
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「鐘」とは、江戸の生活に欠かせない「時を告げる鐘の音」のことです。上野と浅草は、当時芭蕉が住んでいた「芭蕉庵」からは等距離にあったようで、どちらからも鐘の音が聞こえてきたことでしょう。句作に没頭するある春の日、ふと聞こえてきた鐘の音で一気に現実の世界に引き戻される芭蕉の姿が詠み取れます。
 
 
【NO.9】
『 梅が香に のつと日の出る 山路哉 』
季語:梅(春)
現代語訳:早春の明け方、梅の香りが漂う山路を歩いていると、山並みの向こうに朝日がのっと昇ってきた。
 
 
 
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梅の香りに誘われるように、ひょっこりと顔を出した朝日を「のつと」という俗語を用いて表現しています。これは芭蕉が目指した「軽み(身近な題材の中に美しさを見出し、平明な言葉で表現すること)」の実践句でもありました。清涼感溢れる山路の風景から、春の訪れを喜ぶ様子が伝わってきます。
 
 
【NO.10】
『 草の戸も 住み替はる代ぞ 雛の家 』
季語:雛(春)
現代語訳:この住み慣れた草の庵も住み変わる時が来た。雛人形を飾るような小さな女の子のいる家族が住むだろう。
 
 
 
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この句は作者が『おくのほそ道』の旅に出る前に、住んでいた芭蕉庵を引き払う際に詠まれています。次に住む家族のためにこの俳句を書いて柱に掛けておくところから『おくのほそ道』の旅がスタートする始まりの一句です。
 
 
夏の俳句【17選】
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【NO.1】
『 閑さや 岩にしみ入る 蝉の声 』
季語:蝉(夏)
現代語訳:なんて静かなのだろう。石にしみ入るように蝉が鳴いている。
 
 
 
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芭蕉がこの句を詠んだ山形県の立石寺とは、大きな岩が重なったような山に建てられた寺院です。その静けさの中で聞こえてくる蝉の声は、周りの岩にしみ透っていき、なお静寂を引き立たせるようだと表現しています。静寂がもたらす無の世界で、己の心を見つめる芭蕉の姿が目に浮かんでくるようです。
 
 
【NO.2】
『 五月雨を 集めてはやし 最上川 』
季語:五月雨(夏)
現代語訳:梅雨の雨(さみだれ)を集め水かさが増している、最上川の急流よ。
 
 
 
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当初の句会では「五月雨を 集めて涼し 最上川」と詠んでおり、涼風を運びながら穏やかに流れる様子を表現していました。しかし実際の最上川は日本三大急流に数えられるほど流れが早く、長雨により増水した川はより危険さを増していたはずです。川下りで激流を体験した芭蕉は、思わず「集めてはやし」と句の内容を変更したといわれています。
 
 
【NO.3】
『 夏草や 兵どもが 夢の跡 』
季語:夏草(夏)
現代語訳:今や夏草が生い茂るばかりだが、かつては武士達が栄誉を夢見て奮戦した跡地である。
 
 
 
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平安時代に奥州藤原氏が栄華を誇った場所として知られている、平泉(現在の岩手県)を訪れたときに詠んだ句です。夏草だけが生い茂る屋敷跡を目の当たりにし、「すべては短い夢のようだ」と無常観を表現しています。自然の雄大さと人の世の儚さを対比し、無残にも果てた者達への供養や鎮魂の意が込められた句です。
 
 
【NO.4】
『 田一枚 植えて立ち去る 柳かな 』
季語:田植え(夏)
現代語訳:柳にたたずみ懐古の情にふけっている間に、農民たちは田を一枚植え終わり立ち去った。思わず時が経ったのだと、私も柳の元を立ち去った。
 
 
 
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芭蕉にとって憧れの人物である伝説的歌人・西行法師が立ち寄ったとされる有名な柳の木を前に詠んだ句です。柳に見とれ西行へ想いを馳せますが、ふと気付くと田畑には毎年変わることのない農民の働く姿がありました。西行への深い思慕の情を詠みつつ、それとは無関係に繰り広げられる人々の営みをおもしろがる視点を持ち合わせていました。
 
 
【NO.5】
『 暑き日を 海にいれたり 最上川 』
季語:暑き日(夏)
現代語訳:一日の暑さを最上川が海に流し入れてくれた。ようやく夕方の涼を得られることだ。
 
 
 
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厳しい暑さの中旅をしてきた一日の終わりに、その暑さを流れゆく最上川が海に注ぎこんでくれるようだと表現しています。最上川の雄大な自然を題材に、「涼しい」の語を使わずに夏の夕暮れ時の涼を表現した一句です。
 
 
【NO.6】
『 五月雨を 降り残してや 光堂 』
季語:五月雨(夏)
現代語訳:何もかも朽ちさせてしまう五月雨も、この光堂だけは振り残したのだろうか。金色の堂宇が今も光輝いていることよ。
 
 
 
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光堂とは、平泉中尊寺の金色堂のことです。数百年も前に建てられ、毎年五月雨が降ったであろうに、朽ちることなく今なおまばゆい輝きを放つ姿に感動して詠んだ句です。「夏草や」の句で詠んだように、奥州藤原氏の栄華を伝える多くが当時の姿をとどめていないのに対し、時代を超えて変わらないものもあったことへの感動込められています。
 
 
【NO.7】
『 あらたふと 青葉若葉の 日の光 』
季語:青葉若葉(夏)
現代語訳:ああ、尊くありがたいことよ。この日光の霊山の青葉若葉に降り注ぐ日の光は。
 
 
 
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日照東照宮を訪れた時に詠んだ句で、「日の光」には太陽の光と日光という地名の二つの現代語訳がかけられています。初夏の新緑の美しさとともに、降り注ぐ陽の光のように徳川の威光がすみずみまで届いていることを表現しています。
 
 
【NO.8】
『 おもしろうて やがて悲しき 鵜舟かな 』
季語:鵜舟(夏)
現代語訳:賑やかに行われる鵜飼いは風情があり面白いものだ。しかし時間が経つにつれて悲しい気分になってくる。
 
 
 
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かがり火を焚いて賑やかに行われていた鵜飼も、夜がふけ鵜舟も去ってしまうと、何とも言いようのない寂しさだけが残されてしまいます。さらには最初はおもしろがっていた心も、鵜に次々と鮎を飲みこませる姿が憐れに感じ「悲しき」に変化していく様子表現しています。
 
 
【NO.9】
『 暫時は 滝に籠るや 夏の初 』
季語:夏(げ)(夏)
現代語訳:滝の裏にある岩窟に篭っていると、まるで夏行(げぎょう)をしている修行僧のようで、身も引き締まることよ。
 
 
 
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修行僧と同じように芭蕉も「夏篭り」を体験した時に詠んだ句です。実際の修行場であった滝の裏に入り、流れ落ちてくる水を通して垣間見た外の世界は、普段とは違った景色に見えたことでしょう。
 
 
【NO.10】
『 木啄も 庵はやぶらず 夏木立 』
季語:夏木立(夏)
現代語訳:寺を壊してしまうというキツツキも、この庵だけは壊さないでいたのだろう。夏の木立の間に小さな庵が見える。
 
 
 
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この句は、芭蕉が自身の禅の師匠が住んでいたという庵を訪ねた時に詠まれた句です。すぐに壊れてしまうだろう庵が未だに残っていたことに感動してこの句を柱に掛けたと言われています。
 
【NO.11】
『 雲の峰 いくつ崩れて 月の山 』
季語:雲の峰(夏)
現代語訳:雲の峰がいくつ崩れると、あの神々しい姿である月山になるのだろうか。
 
 
 
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月山は山形県にある出羽三山のひとつです。湧き上がっては崩れていく雲の姿を見ながら登頂している時間経過が「いくつ崩れて」という表現から伺えます。
 
 
【NO.12】
『 象潟(きさかた)や 雨に西施(せいし)が ねぶの花 』
季語:ねぶの花(夏)
現代語訳:象潟に雨が降っている。雨に濡れてねぶの花がうちしおれている姿は、古代中国の西施がまぶたを伏せて憂いている姿のようだ。
 
 
 
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「西施」とは古代中国の美女の1人で、胸の病のためにまぶたを伏せて俯いている様子で有名です。雨に降られたねぶの花の様子を西施に例えて、象潟の風景の美しさを称えています。
 
 
【NO.13】
『 語られぬ 湯殿にぬらす 袂かな 』
季語:湯殿/湯殿詣で(夏)
現代語訳:掟として湯殿詣での詳細を語ることができない。ただありがたさに袂を濡らすばかりである。
 
 
 
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山形県にある湯殿山は、古来より「湯殿詣で」で有名な場所です。修験道の修行の内容を一切語ってはならないという戒めは現在でも受け継がれていて、写真撮影などが禁止されているエリアになっています。
 
 
【NO.14】
『 若葉して 御目の雫 ぬぐはばや 』
季語:若葉(夏)
現代語訳:この周りの若葉で、鑑真和上の目の雫をぬぐってさしあげたいなぁ。
 
 
 
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この句で「御目」と表現されているのは、奈良県の唐招提寺にある鑑真和上の像の目です。『笈の小文』という紀行文の旅で奈良県に訪れた作者は、みずみずしい若葉とその露に濡れた像を見て感動しています。
 
 
【NO.15】
『 世の人の 見付けぬ花や 軒の栗 』
季語:栗/栗の花(夏)
現代語訳:世の中の人はひっそり咲いていて見つけられない花なのだ、この栗の花は。
 
 
 
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ひっそりと軒下に咲いている栗の花を見かけた時に詠んだ一句です。栗の花は白く房のように垂れ下がる花で普段から意識されないもののため、「世の人」は気が付かないのだという自負も伺えます。
 
 
【NO.16】
『 野を横に 馬牽(ひき)むけよ ほととぎす 』
季語:ほととぎす(夏)
現代語訳:野原を横切るときにホトトギスの声が聞こえた。馬を鳴き声の方に向けてくれ。
 
 
 
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この句は栃木県那須塩原市にある「殺生石」という名所の近くを旅していたときに詠まれた俳句です。馬を引いていた馬子に一句求められ、気軽に応じている親しみやすさを感じます。
 
 
【NO.17】
『 蚤虱(のみしらみ) 馬の尿(しと)する 枕もと 』
季語:蚤虱(夏)
現代語訳:ノミやシラミが枕元で跳ね、馬が尿をする音まで聞こえてくることだ。
 
 
 
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この句は『おくのほそ道』の旅の途中で、山越えの難所の近くで悪天候に合い、宿を借りた時に詠まれた一句です。この「宿」は現存しており、俳句の印象と比べてかなり大型で裕福な民家であったことから、旅先での悪天候の不安が表れているようです。
 
 
 
秋の俳句【16選】
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【NO.1】
『 名月や 池をめぐりて 夜もすがら 』
季語:名月(秋)
現代語訳:名月を眺めながら池の周りを歩いていたら、いつの間にか夜が明けてしまった
 
 
 
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澄み渡った秋の空に煌煌と輝く月の美しさを、夜どおしという現代語訳を持つ「夜もすがら」という語を用いて表現しています。自然が生み出す神秘的な光景を前に、芭蕉の目指した「侘び寂び」の世界観が見事に表現した名句です。
 
 
【NO.2】
『 菊の香や 奈良には古き 仏たち 』
季語:菊(秋)
現代語訳:菊の香りが漂う奈良の町、その香りの中に古い仏像たちがひっそりとたたずんでいる
 
 
 
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菊を用いて長寿を願う「重陽の節句」に詠んだ句で、「菊の香」「奈良」「古き仏」の取り合わせによって、清澄で格調高い雰囲気が感じられます。この時期の奈良には数え切れないほどの菊の花が飾られていたことでしょう。菊の香りが漂うなか、ひっそりと佇む仏像を「仏たち」と人のように例え、尊敬だけでなく親しみを込めて表現しています。
 
 
【NO.3】
『 秋深き 隣は何を する人ぞ 』
季語:秋深き(秋)
現代語訳:いよいよ秋も深まり、隣の人は何をしているのだろうか。
 
 
 
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秋がいっそう深まり寂しさが漂う中、隣からかすかに聞こえてくる人の気配に思いを寄せる温かさに満ちた句です。この句は晩年の病床に臥せていた時に詠まれたもので、芭蕉の人懐かしいという内省的な心の叫びを強くさせています。
 
 
【NO.4】
『 この道や 行く人なしに 秋の暮れ 』
季語:秋の暮れ(秋)
現代語訳:秋の夕暮れ時に、この道を行く人は誰ひとりいない。道を行く私は何と寂しいことだ。
 
 
 
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人生をかけて高みを目指してきた俳諧の道を、秋の夕暮れ時の寂寥たる風景になぞらえて詠んだ句です。「行く人なし」からは、心同じように歩む俳人がいないという孤独感や、誰もいないところにたどり着いたという自負が感じられます。
 
 
【NO.5】
『 物言えば 唇寒し 秋の風 』
季語:秋の風(秋)
現代語訳:口を開くと 秋の冷たい風が唇に触れて 寒々しい気分になる
 
 
 
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人の欠点を言うと、後から言わなければ良かったと寒々とした気持ちに襲われます。さらには、その発言により余計な争いや災難を、自ら招き入れることになりかねません。このことから、「口は災いの元」という教訓の句だといえます。
 
 
【NO.6】
『 むざんやな 甲の下の きりぎりす 』
季語:きりぎりす(現在のコオロギ)(秋)
現代語訳:なんと憐れにいたわしいことよ。かつては勇壮に戦った斎藤実盛の甲の下で、今はコオロギが鳴くばかりである。
 
 
 
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初句の「むざんやな」は謡曲『実盛』の一説を踏まえており、かつて悲劇的な最後を遂げた武将・斎藤実盛を忍んで詠んだ句です。「往古の出来事や謡曲の世界を取り込み、栄枯盛哀の情を哀切に表現しています。
 
 
【NO.7】
『 蛤の ふたみにわかれ 行く秋ぞ 』
季語:行く秋(秋)
現代語訳:深まり行く秋、蛤の殻と身を引き裂くように、再び悲しい別れの時がきたことだ。
 
 
 
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この句は、芭蕉が長旅の疲れも癒えぬまま、再び旅に出る際の様子を詠んだものです。晩秋の季節から、離別の寂しさがよりいっそう身にしみるようです。別れを惜しむ門人たちや親しい人々に見送られ、旅を続ける芭蕉の強い信念が詠み取れます。
 
 
【NO.8】
『 荒海や 佐渡に横たふ 天の川 』
季語:天の川(秋)
現代語訳:暗く荒れ狂れ狂う日本海の向こうには佐渡島が見える。空を見上げると天の川が佐渡の方へと横たわっている。
 
 
 
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かすかに浮かぶ佐渡の島影と日本海の荒波。その二つを結ぶように、淡く光る天の川が横たわっています。擬人法を用いて、壮観な景色を巧みに表現した句です。佐渡島は古くから流刑地として知られており、権力争いに敗れた天皇や貴族も流されていました。哀しい歴史を背景に、海や島、星といった大自然を眺める芭蕉の姿が感じられます。
 
 
【NO.9】
『 一家に 遊女もねたり 萩と月 』
季語:萩(秋)
現代語訳:同じ屋根の下に華やかな遊女も居合わせて眠っている。庭では萩の花が咲いて月が照っている。
 
 
 
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この句は現在の新潟県糸魚川市で宿を取ったときに、隣室に遊女たちが泊まっていたことがきっかけで詠まれています。遊女の華やかさと「萩」と「月」という秋を代表する自然の対比が、より両者の美しさを際立たせている句です。
 
 
【NO.10】
『 石山の 石より白し 秋の風 』
季語:秋の風(秋)
現代語訳:石山の白く晒された石よりも白く感じる秋の風だ。
 
 
 
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ここで詠まれている「石山」とは、石川県那谷寺の境内のことです。古代中国の陰陽五行説では四季に色を当てはめますが、秋は白ということで岩の白さとともに風も白いと詠まれた句です。
 
 
【NO.11】
『 山中や 菊はたおらぬ 湯の匂 』
季語:菊(秋)
現代語訳:この山中に湧く温泉の香りであれば、不老長寿を約束するという菊の花も手折る必要がないというものだ。
 
 
 
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菊の花は不老長寿のシンボルとされていて、9月9日の重陽の節句では菊酒など菊を用いた儀礼が多く残っています。この句は重陽の節句の翌日に詠まれたもので、温泉の効能を菊になぞらえて褒めたたえている一句です。
 
 
【NO.12】
『 あかあかと 日はつれなくも 秋の風 』
季語:秋の風(秋)
現代語訳:あかあかと照りつける日の光は立秋を過ぎたにもかかわらず辛いものだ。吹いてくる風だけが秋の気配を運んでくる。
 
 
 
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立秋を過ぎたあとの暑さを嘆く和歌や俳句は多くあります。気温が高く日光が照りつける中で、ふと吹いた風から秋の気配を感じています。
 
 
【NO.13】
『 義朝の 心に似たり秋の風 』
季語:秋の風(秋)
現代語訳:妻の常盤御前を想っている、源義朝の悲しげな心によく似た秋の風が吹いている。
 
 
 
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元となった「月見てや 常盤の里へ かへるらん 義朝殿に にたる秋風」という歌があります。芭蕉が義朝の妻である常盤御前の塚の前で詠んだ句で、戦に敗れた上に妻もその後亡くなった義朝の悲しみを強く感じている一句です。
 
 
【NO.14】
『 文月や 六日も常の 夜には似ず 』
季語:文月(秋)
現代語訳:明日がいよいよ七夕だと思うと、前日の6日もいつもの夜とは思えないものだなぁ。
 
 
 
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「文月」とは7月の異称のため、文月六日は七夕の前日にあたります。七夕飾りを作ったり、儀礼のための食事を作ったりと常日頃の夜とは少し違った高揚感が見て取れる句です。
 
 
【NO.15】
『 今日よりや 書付消さん 笠の露 』
季語:露(秋)
現代語訳:今日からは「同行二人」の書付も消さなければならない。笠の露と私の涙で消してしまおう。
 
 
 
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この句は『おくのほそ道』の旅の途中で同行者である曽良が体調を崩し、1人で旅をすることになった時に詠まれています。1人きりの旅になったことの悲しみを笠に付いた露に託している一句です。
 
 
【NO.16】
『 早稲の香や 分け入る右は 有磯海 』
季語:早稲(秋)
現代語訳:早めに実る稲の香りがするなぁ。分け行って進む右手には有磯海が広がっている。
 
 
 
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「有磯海」とは現在の富山湾西部の海のことで、万葉集の時代から歌枕として有名でした。『おくのほそ道』の記述から富山湾を一望できる場所で詠んだとされていて、句碑が立てられている場所から少し進むと絶景が拝めます。
 
 
冬の俳句&無季俳句【7選】
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【NO.1】
『 旅に病んで 夢は枯野を かけめぐる 』
季語:枯野(冬)
現代語訳:旅の途中、病床に臥しながらも、夢の中では今なお草木が枯れた冬の野を駆け巡っている。
 
 
 
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病気に苦しむ芭蕉の、夢の中でしか自由に駆け回ることができない切なさを、口語的な表現でストレートに詠んでいます。この句は芭蕉が最後に詠んだ俳句として知られ、病床に臥してなお「旅」と「俳句」への執念が感じられます。
 
 
【NO.2】
『 面八句を 庵の柱に 懸け置く 』
季語:なし
現代語訳:初表八句を書き記した懐紙を、芭蕉庵の柱に残しておく
 
 
 
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これは『奥の細道』の書き出し部分に記載されたもので、芭蕉庵を手放す際、確かに自分がここにいたのだという証を残すため、芭蕉が独吟した初表八句を柱に懸け残したといわれています。これが最後の旅になるかもしれない、そんな想いが感じ取れます。
 
 
【NO.3】
『 かねて耳 驚かしたる 二堂開帳す 』
季語:なし
現代語訳:以前からその評判を聞いていた二堂がちょうど開帳していた。
 
 
 
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『奥の細道』の「平泉」の章にある一節で、その後に続く文章のはじまりだと解釈されています。この章は、奥州藤原氏が栄えた証である寺院や遺跡を訪れ、三代にわたる栄華を回想する内容がまとめられています。二堂には彼らの棺や三尊の仏像が安置されており、ようやく訪れることができた日にちょうど開帳していた喜びを感じ取れます。
 
 
【NO.4】
『 あら何ともなや 昨日は過ぎて 河豚(ふぐと)汁 』
季語:河豚汁(冬)
現代語訳:ああ何ともなかったようだ。河豚汁を食べた昨日は過ぎ去って今日を迎えることができた。
 
 
 
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現代では免許制度で比較的安全が保証されている河豚ですが、江戸時代では死亡例が多くある食べ物でした。それでも江戸時代の人々は河豚を好んでいたらしく、芭蕉のように緊張しながらも堪能していた様子を詠んだ様子が残されています。
 
 
【NO.5】
『 いざさらば 雪見にころぶ 所まで 』
季語:雪見(冬)
現代語訳:さあお暇しましょう。雪を見に転ぶところまで行ってみましょう。
 
 
 
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俳句仙人
 
何度か推敲が重ねられた句で、「いざ行かむ」という初句のものがあります。雪見の宴への期待感が「いざ」という気合いの入った表現や、「ころぶ所まで」という積極的な様子から伺える句です。
 
 
【NO.6】
『 人々を しぐれよ宿は 寒くと 』
季語:しぐれ/時雨(冬)
現代語訳:句会の座敷が寒くなっても構わない。集まった人々とともに時雨の風情と詫びを楽しもうではないか。
 
 
 
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俳句仙人
 
故郷の伊賀で行われた句会の際に詠まれた一句で、侘び寂びの精神を遺憾なく発揮しています。しとしとと降る時雨と底冷えのする空気こそが句会に相応しいのだという芭蕉一門の気概が見えるようです。
 
 
【NO.7】
『 海くれて 鴨のこえほのかに 白し 』
季語:鴨(冬)
現代語訳:海に夕暮れが来て、ほのかに白い影から鴨の声がする。
 
 
 
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俳句仙人
 
「白し」とされているものについて、鴨自体を表すという説と、鳴き声を「白い」と表現した説があります。この句を詠んだときの芭蕉は緊張する句会が連続していて、ふと気が抜けたときの心情が零れたのが「白し」という三音だけの結句とも考えられます。
 
 
さいごに
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(松尾芭蕉 出典:Wikipedia)
 
今回は、松尾芭蕉の代表的な俳句を50句紹介しました。
 
芭蕉が残したひとつひとつの句に込められた想いや背景を知ると、俳句への理解が深まるだけでなく、松尾芭蕉という人となりも伝わってくるような気がします。
 
芭蕉は生前「平生即ち辞世なり(常日頃から詠む俳句は辞世の句のつもりで詠んでいる)」ということを門人達に伝えていました。
 
一日一日を大切に、目の前のことに全力を注ぐ芭蕉の生き方は、現代を生きる私たちにも通じる信念だといえるでしょう。
 
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俳句仙人
 
 
 
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